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[ラボ]我儘のお話

『異端審問ラボ』の番外短編です。時系列1巻以降、本編内容はあまり含みません。

 


      1

 五日ぶりに宿舎に帰宅した鳶は、小さな不可視の天蓋に守られているかのようだった。
 彼が玄関から一歩、足を踏み入れると、その場にいた宿舎生達が見えない壁に押し退けられたかのように道を開ける。廊下を一歩進むと、進む先で人々が談笑を止め、飛び退る。
 鳶の姿を見た者は一人の例外なく彼に道を譲り、不均一な歩みを、固唾を飲んで見守った。
 まるで、彼の行く手を妨げた者には天罰が下るとでも言わんばかりの異様な光景だが、現実に宿舎生らが恐れているのは、感染だろう。
 乱れた髪には櫛を通した痕跡がなく、ジャケットのボタンは掛け違え、中に着るシャツはしわくちゃだ。丸めたネクタイをよれたズボンのポケットに押し込み、足元が覚束ないのは端末画面を読みながら歩いている所為だけではない。靴の踵を踏んでいる。
 無論、鳶自身も感染で寿命を縮めたくはないに決まっている。だから、清潔は保っているのだろうが、彼の見た目には間違いなく清潔であるという説得力に欠けていた。
 かく言う千鳥も、鶫と共に、鳶が通り過ぎるのを思わず見送ってしまった。
「集団生活に向いていないとは思っていたが」
 鳶が人からどう見られているかを気にしない事は分かっていたが、無頓着過ぎる。
 ところが、鶫は「いやいやいや」と手を左右に振って、最後にその指先を、鳶が去った方へ向けた。
「鳶に一人暮らしなんかさせたら、あれよりひどい格好で街を彷徨くよ」
 一理ある。千鳥はペットボトルに蓋をして立ち上がった。
「千鳥?」
「様子を見てくる。あの格好で宿舎を彷徨いていたら、強制退去になりかねない」
「そうだね。シャワーに直行してればいいけど」
 鶫が付き合い良くソファを立つ。
 千鳥は彼と二人、まだざわめきの残るラウンジを後にした。



 残念ながら、鳶はシャワー室へ向かってはいなかった。
「鳶!」
 鶫がノックするのとほぼ同時に扉を開いて室内に呼びかける。
 彼の後ろから薄暗がりに目を凝らすと、クロゼットの陰で黒い塊が蠢いて、思わぬ方向から頭を擡げた。
 それは戸口に二人の姿を認めると、びょんと飛び跳ねて、右腕を振り上げた。
「鶫、千鳥、見ろ」
「見ろじゃなくて、シャワー」
「『万能の種』が完全体になった!」
「ん、んん?」
 鶫が押し負けて首を傾げ、眉根を寄せる。
 鳶は突き出した手の平を開いた。
 彼の手の中には、白っぽい小石の様な物体が一粒あった。
「増殖過程で、状態によって名称が異なるらしい。緑色の間に食する事も可能だが、そのまま放置して、死滅する直前で採取すると、最終形態が得られる」
「最終形態」
「学者たるもの、憶測で物を語るべきではない。実践あるのみだ」
 鳶は自らを律するように大きく目を見開くと、クロゼットにしゃがみ込む。
 千鳥は部屋の中に入って彼の手元を覗き込んだ。

 


 除菌ケースに敷いた土から、『万能の種』が『茎』と『葉』を伸ばしている。しかし、以前に見た時の青々とした鮮やかさはなく、日焼けしたみたいに薄茶色に褪せて、指先で触れてみると固く、乾燥しきっているように感じられた。
「増殖の失敗ではないのか?」
 千鳥が尋ねると、鳶が首だけで勢い良く振り向いて、双眸を活き活きと輝かせる。
「おれもその見極めには苦慮したのだ。放っておくと土と同化して次の増殖が始まってしまう。そこで考えた。増殖に幾許かの菌が働いているとしたら、無菌状態を保てば良いのではないかと」
 鳶の難解な思考の片鱗に、千鳥は相槌を打つエネルギをも全て理解に注ぎ込んだ。が、千鳥の理解を待たず、鳶が更に引き離す。
「つまり、外部からの供給を断ち、内部組織の変質のみに任せたという事だ。無菌状態で、光と水を断ち、数日おきに変化を観察する。どの要素が功を奏したのかは比較実験を行わなければ確定は出来ないが、今こうして眼前にある成功の事実は、研究の重大な足がかりになるだろう」
「……菌と光と水から隔離する為か?」
 千鳥が確認すると、鳶が口元に満足げな笑みを引いたまま、きょとんとした眼差しを返してくる。
「五日間、職場に寝泊まりしていた理由は」
「おう」
 鳶が無邪気に答えるのを聞いて、鶫が崩れるように壁にもたれかかった。

 


「鶫は具合が悪いのか?」
「ご心配ありがとねえー?」
 表情筋が器用な鶫は、怒りを露わに笑顔を浮かべて壁から起き上がると、鳶のジャケットの後ろ襟を引っ掴んだ。
「五日間、『万能の種』を隔離する為に? まさか鳶まで飲まず食わずじゃないだろうね。ちょっと痩せたんじゃない?」
「職場が近い宿舎生にポストの鍵を預けて、出勤ついでに着替えと食事を持ってきてもらった。いい奴だ」
「だからって……だからって……」
 鶫は最早、何処から言及すれば良いのか分からないという風に、宙に留めた手を戦慄かせていたが、遂には何もかもを振り払うみたいに両腕を下ろして短く叱り付けた。
「帰って来たらまずシャワー!」
「ぬ」
 それが何より優先される事は、鳶も知らない筈がない。
 言い返せず、しかし、目の前の研究材料から離れられないでいる鳶に、鶫の表情はますます不機嫌に傾いていく。
 長引かせてもこじれるだけだ。
 千鳥は声だけを二人の間に割り込ませた。
「鳶、何が必要なんだ? 俺達で屋上へ運んでおくから、その間にシャワーに行けばいい」
「!」
 首根っこを掴まれたまま、鳶がぐちゃぐちゃの髪を揺らして頭を跳ね上げる。
「消毒用のコンロとボウルを頼む。『万能の種』は洗って水に浸しておいてくれ」
 鳶の要望に答える代わりに、千鳥は鶫を待った。
 大人数で育った鶫は、周りの空気を読む事に長けている。
「……仕方ないなあ。早く行けよ」
 鶫が溜息まじりに言って手を離すと、鳶が歩を弾ませて部屋を駆け出した。


 


      2

 鶫がつい口煩く言ってしまう理由は彼らの双方にあると、千鳥は思う。
 鳶は研究熱心と表現すれば聞こえは良いが、夢中になると周辺の諸事をないがしろにしてしまう嫌いがある。食事をきちんと摂取した事は——鳶にしては——評価に値するが、他人に鍵を預けるなど不用心が過ぎる。
 多くの人々はそんな鳶から距離を取り、気味が悪いと目を逸らした。
 しかし、鶫は目を逸らさない。社交的でお人好しで付き合いの良い彼は毎回、飽きもせず、諦めもせず、鳶のずぼらを窘める。
「鶫は優しい」
「は? 何、急に、どうしたの、千鳥」
 確信を持って言った千鳥とは対極に、鶫が怪訝そうに眉を顰めて身構えた。
 言葉が足りなかったらしい。
「鶫がいなければ、俺は鳶と話しもしなかった」
 千鳥も愛想が良い方ではない。にも拘らず、学生時代に少なからず同級生と関わって過ごせたのは、鶫が普通に話しかけるからだ。周りはその姿を見て、千鳥に対しての接し方を学習する。
 鶫と話しているから、同じように話しかけても大丈夫だろう。鶫の友人ならば、悪い人間ではないのだろう。千鳥や鳶と、周囲との隔たりを緩和する。全て、鶫の優しさが築いた他者からの信頼に他ならない。
 だが、鶫はますます眉間の皺を深くして、屋上の柵から背を起こした。
「オレはもっと、自分の欲とつまらない考えで頭の中いっぱいの、格好悪い奴だよ」
 謙遜と呼ぶには生々しい、鶫の自嘲的な微苦笑を、千鳥には理解出来なかった。
 鶫は、今度は明るく笑い直すと、屋上に上がってきた鳶を見付けて手を振った。
「鳶! 言われた通り、水に沈めておいたよ」
「そうか!」

 


 風呂上がりで紅潮した頰が、鳶の喜びを一層、輝かせる。
 二人が並べた器具の前に座り込んだので、千鳥は屋上を一望して、彼らの他に誰もいない事を再確認してから実験に加わった。
 古代の『食事』は、儀式めいている。
 現代でも栄養は経口摂取だが、栄養剤は工場で作られて、各人に必要量が供給される。
 一方、古代の食事は加熱したり冷やしたり、時折、無意味にも感じられる手順を踏まなければならなかった。
「『種』を水に浸して、横長になったら取り出す」
 鳶が解読した文献を読み上げる。
 乾燥した『万能の種』を再び水に浸すとは、これもまた謎めいた手順だ。
「横長……結構初めから横長だよね?」
 鶫が水の底に沈む粒を凝視する。
「では、完了としよう」
 鳶はボウルを傾けて水だけを排水口に流すと、消毒用の加熱コンロに電気を通し、その上にボウルを載せた。
「火に掛けて、焦げないように転がしながら加熱すれば完成だ」
「簡単だな」
 今まで実験してきた『食事』に比べると、工程が格段に少ない。
「培養段階で手間が掛かる分、疲れて後半を簡略化したのではないか?」
「成程」
 言われてみれば、培養からの時間も合わせて考えれば、寧ろ厄介な代物と言えるのかもしれない。
「五日も部屋を空けたくらいだもんね」
「うむ。掛けた時間に比例して成果に繋がれば良いのだがな!」
 鶫の刺々しい嫌味は、鳶には通じなかった。

 


 二人の間で、ボウルがチリチリと微かな音を立てる。底面に残った水滴が蒸発して、『万能の種』の色が茶色がかったように見える。
 楕円形の『種』が縮み、表面の薄い皮が乾いてヒビ割れる。
 焦げたような匂いがするが、不思議と不快ではない。
「水分が飛んだようだな」
 鳶は興奮気味に言ってコンロのスイッチを切ると、徐にボウルの中へ手を入れ、弾かれたように腕ごと引き戻した。
「熱い!」
「ええー、当たり前過ぎて返す言葉がない」
 鶫は呆れきった声で言うと、キョロキョロとコンロ周りを見て、『種』を掻き混ぜるのに使っていた金属片を手に取る。彼は二粒掬うと、金属片の背で『種』を左右へと器用に転がした。
「はい。冷めたんじゃない?」
 鶫が最後の一傾けで、『種』を鳶の手の平に転がす。鶫は同じように、次は四粒まとめて金属片に載せて、冷めた『種』の二粒を千鳥に、残りを自分の手の平に落とした。
「いざ」
 鳶が大きな目を更に一回り大きく見開く。
「いただきます」
 鶫が言うのに合わせて、千鳥も『種』をじっと見て、一粒を口に放り込んだ。

 


 噛むと、カリ、と小気味好い振動が奥歯から頭に伝わった。
 焦げた『種』の香りがより鮮明に鼻腔を抜ける。
 タブレットより脆く、しかし、固い。奥歯で容易に砕かれるが、決して柔らかくはない。千鳥が不思議な感触を確かめようと咀嚼を繰り返すと、確信に至る前に『種』は消えてなくなってしまった。
「ふむ」
 鳶が唸って二粒目を前歯で割る。
 鶫も目を泳がせて、焦点が定まらない様子だ。
「何だろう……吃驚する味ではないけど、奥歯で噛む感触が癖になる」
「同意見だ」
 千鳥は鶫に賛同して、コンロの上に鎮座するボウルを見下ろした。鳶が何十粒もの『種』を山と盛った時には、こんなに大量に作って持て余すのではないかと思ったが、この絶妙な歯応えは、ガムより長時間噛み続けられるかもしれない。

 


 鳶がボウルの端を手で突く。どうやら、触れる程度に冷えたらしい。鳶は千鳥と鶫の手の平に、ボウルから直に数粒ずつ分け、自分の口に三粒ばかり放り込むと、残りを空の滅菌容器に流し入れた。
「この状態の種は『豆』と呼ぶらしい。保存が効いて、よく食されるある地域では、悪の退治に使うらしいとあった」
「毒なのか?」
 千鳥が聞き返す隣で、鶫が喉を詰まらせて咳き込む。驚いた弾みで気管に逸れたのだろう。涙目になって咳をする鶫の背中をさすりながら、千鳥は反対の手で身を寄せ合う『豆』を見た。
「毒ではない」
 鳶はきっぱりと否定して、それから、腑に落ちないという風に難しい顔で腕組みをする。
「? 何だ、鳶」
「うーむ。文献には、撒くと悪が逃げると書いてあった」
 鳶の口調が冴えないのも道理だ。
 新手の謎かけだろうか。千鳥には因果関係がまるで見えてこない。
「翻訳、間違えてない?」
 鶫がまだ居座る咳の下から鳶に尋ねる。
「おれもそう思って何度も訳し直しているのだが、別の文化圏で書かれた記述だから情報量が足りないのかもしれん」
「投げられたとして、身体に当たってもどうって事なさそう」
「殺傷力はなさそうだ」
 千鳥が奥歯に挟むと、『豆』は簡単に割れて砕けてすり潰される。
「投げる……ニュアンスが違う。撒く、だ。当てるのでなく、地面にこう、うーん?」
 鳶が腕組みをした格好で蹲った。
 そこまで悩むほど、彼には重要な問題なのだろうか。千鳥は暢気な疑問を浮かべて、すぐにそうではない事に気が付いた。

 


「えっ」
 鳶の身体が前傾して、倒れそうになる。千鳥と鶫が咄嗟に手を出して支えると、鳶は表情こそきょとんとしていたが、肝心の身体は起こす事が出来ず、寧ろ頭を重そうに項垂れた。
「む?」
「鳶。何処が奇妙しい?」
 千鳥の声は聞こえているようだ。
「頭が真っ直ぐにならん。目が……ぐわんぐわんする」
「やっぱり毒なんじゃないの?」
 鶫が蒼白になって、鳶とボウルの『豆』を見比べる。
 『万能の種』はこれまでに幾度か摂取したが、これほど顕著に作用する毒素はなかった。が、常に溌剌として楽しそうな鳶の顔色が、青ざめた鶫より血色を失っている。
 千鳥は鳶の頰を親指で押さえ、下瞼を引っ張ってみた。
 瞼の裏側が白い。
「貧血だ。血が足りていない」
「え、何で? 錠剤はちゃんと摂ってたんだろ?」
 国から供給される栄養剤は、それぞれの年齢に応じて生命維持に必要な量が算出されている。毎日、規定量を摂取していれば、少なくとも栄養不足に陥る事はない。
 ならば、そう出来ていなかったと考えるのが自然だ。
 千鳥は上着の袖を片方ずつ抜いて地面に敷き、鳶の上体を横たわらせた。
「鳶。ポストの鍵はどうした?」
 見上げる鳶の目は、千鳥に留めておけない様子で、天蓋の夕焼けを写している。
「先輩に預けた」
「返してもらっていないんだな」
 千鳥は確認するが早いか、屋内に戻って階段を駆け下りた。

 


 国は必要な量の栄養剤を供給している。
 鳶は必要な量の栄養剤を摂取出来ていない。
 発生し得ない減算だ。
 千鳥はラウンジへ下り立ち、壁一面に並ぶポストとそこに立ち寄る宿舎生達をまとめて視界におさめた。
 鳶のポストの前に、鳶ではない宿舎生がいる。
 鍵を使い、扉を開けて、中から取り出しているのは錠剤ケースだ。
 千鳥は彼の背後から腕を伸ばし、鳶のポストの扉に手を突いた。
「先輩。お話があります」
「!」
 彼の判断は速かった。彼は千鳥の腕がない方から逃れると、翻す足でラウンジから飛び出した。部屋に戻ろうとしたのか、彼は階段を上ろうとしたが、上から鶫と鳶が下りてくるのを見ると、階下へ方向転換する。
「あ、千鳥」
「彼奴だ」
 千鳥は二人に短く言い置いて、三歩で踊り場まで下りた。思ったより足が速い。逃げられてしまう。
「千鳥。床に撒いて!」
 鶫の声と共に、階段の吹き抜けから真っ直ぐに降ってきたのは滅菌ケースだ。
 千鳥は廊下の前方を行く彼の足元めがけて、ケースの中身を打ち撒けた。
「い? は!?」
 逃げる彼の足元に無数の『豆』が転がる。
 男は虚を突かれたのだろう。左右の足を不規則にばたつかせたかと思うと、『豆』を踏んでバランスを崩し、横倒しに転がった。
「先輩……」
 避けきれない千鳥の足が、ゴリゴリと『豆』を踏み潰す。
「お話があります」
 彼は千鳥を見上げると、怯えたように悲鳴を上げて、
「すみませんでした!」
 と、両手で顔を覆った。
「成程。こう使うのか」
 追いついて来た当の被害者、鳶が場違いに楽しそうな歓声を上げた。

 



      3

 先輩宿舎生は、鍵と掠め取った錠剤を返して鳶に謝罪した。
 いきなり妙な頼み事をされて腹を立て、最初は腹いせのつもりで錠剤を少なく渡したのだと言う。しかし、毎食ケースに入れていく内に、数が貯まったら売れるのではないかと邪心が働いたそうだ。
 皆が部屋に引き上げた夜更けの廊下で、千鳥は、鳶、鶫と共に、床に散らばった『豆』を拾い集めた。『豆』は先輩宿舎生を転ばせる事に成功したが、靴に踏まれて潰れた物は、最早、口には入れられない。
 鶫が『豆』だった破片を手の平に掬い、悲しそうに眉を下げた。
「ごめんな、鳶。折角、何日もかけて作ったのに」
「素晴らしい実験になった。二人に感謝する」
 鳶が本心から言っているのは疑うまでもない。彼は思ってもいない事を口に出来るほど暇ではなかった。嘘を考える時間があるなら、その分で新しい本を読みたがる男である。
 鶫も、それは分かっているだろう。彼は指を握り込んで、決まり悪そうに横を向いた。
「鳶が研究熱心なのは知ってる。あの先輩に頼んだのだって、本当に宿舎が同じで、職場が近いからってだけなんだろ。だけどさ」
 言い止して、鶫が唇を引き結ぶ。
 鳶が首を傾げる。
 千鳥も思わず手を止めて彼を見ていると、鶫はすっくと立ち上がり、鳶を強く睨み付けた。

 


「自分の身は守れよ」
「む?」
「食べる、洗う、寝る。これ、基本。職場に五日も泊まり込むとか、仲良くもない先輩にお遣いを頼むとか、鍵を預けるとか、鳶が倒れた時、もうどうしようって……千鳥は走って行っちゃうしさあ……もう、止めろよなあ」
 鶫は徐々に言葉から力を失うと、床に逆戻りして、握り締めた拳を額に当てる。
「オレは優しいんじゃないの。欲張りで自分勝手なの。皆、元気でいてくれないと嫌なの。自分では何もしない癖に、皆には幸せでいて欲しいの」
 飽きもせず、諦めもせず、鶫は何度でも鳶を叱り、千鳥に声を掛けるのだろう。
「成程、欲張りだな!」
 鳶があっけらかんと言う。
「ああ、自分勝手だ」
 千鳥が同意すると、鳶がシシシと笑い出す。
「だからそう言ってるじゃん」
 鶫は勢い良く頭を上げて、険しい顔で千鳥と鳶を見据えたが、二人が笑みを隠さずにいると、遂に、堪え切れなかったとばかりに破顔した。


(了)

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