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[執事]斉姫家の末っ子のお話

*『うちの執事が言うことには』来週刊行の第九巻より少し前の短編です。先に読んでも後に読んでも、本編を妨げることはありません(既刊の内容を一部含みます)

 

 

 

 


斎姫長十が一廉の人物だと知ったのは、傘下の工務店に就職した後だった。
「不動産王ですか」
大型のヤカンいっぱいに作った麦茶は重くて、湯呑みに注ぐ前に必ず縁を外れて机にこぼれる。
七生はカテキンの染み付いた布巾で机を拭いて、空いたパイプ椅子に腰を下ろした。
「ちょっと格好いいですね」
冬は皆が集まる達磨ストーブも、この季節はヤカン置き専用の台と化している。
「七生。親方の格好よさは、ちょっとやそっとじゃねえんだよ」
「はあ……」
白熱した先輩の話はよく分からない。七生の理解力がないと思って貰っても構わないが、半分以上が形容詞と擬音なので、肝心の何が凄いのかという情報が含まれていなかった。
「日が暮れる前に解体終わらせるぞ」
班長が逸早く昼食を締めて、黒々とした前髪を全て後頭部へと流す。
「はい!」
先輩が慌てて米を掻き込むので、七生も普段の二割り増し大口を開けておにぎりを食べ、早々に麦茶で押し流した。
昨今、工事現場での足場の組み立ては専門業者が行う事が多いが、この工務店では足場に特化したセクションがある。七生も所属する足場組立班だ。
足場は、家や橋と違って後には残らない。取り払って消える事で建築物が完成を遂げる。
七生はそこが好きだった。
自分の手がけた物が後々まで残ると思ったら、なんとなく嫌な気持ちになる。足が竦むような感覚だ。
(足場だけに)
くだらない冗談を思い付いてしまった。
七生は脳内の独り言を頭の中に封印して、ヘルメットの顎紐を留めた。

 

 

仕事は楽ではないが、日暮れ刻には必ず終わるのが良い。
安全上の理由だが、労働時間外まで働くほど七生は熱心な社員ではないので、利害の一致した職場だと思う。
「七生」
「はい」
班長に呼ばれて、七生は扉の拉げたロッカーを閉めた。
汗だくのTシャツから洗濯したTシャツに着替えた七生と違って、班長はスーツで通勤している。隣に立つと教師と学生の様だ。
「親方のお身体の事は聞いているか?」
「退院されたんですよね?」
「御自宅には戻られたが、会社に出て動き回るって訳にはいかないらしい」
班長が眉間を指で摘んで頭を振る。
「それで、交代で御自宅に伺って仕事の手伝いをする事になった。お前も数に入れて良いか?」
断る理由がなかった。
七生はまだ足場組立等作業主任者の資格を取っていない。三年以上の実務経験が必要だから、まだ受講できないのだ。穴を空けるなら、班長より七生だろう。
「おれで大丈夫なら」
「雑用になるだろうが、親方のお傍で働ける機会なんてそうない事だ。勉強させて貰って来い」
班長が岩の様に重量感のある手で七生の背を叩く。
七生は叩かれるままに曲がった背骨をゆるゆると戻し、首を縮めて頷いた。

 

 

七生が斎姫家を訪れるのは初めてではない。
長十は面倒見の良い男で、困っている社員を見過ごす事はしなかった。夕飯もその一環だと聞いている。
金のない若い社員に栄養を付けさせ、相談がある社員と酒を酌み交わして話を聞く。
一方で、年齢の行った社員達は、酒や米、野菜に肉などを台所に差し入れているらしく、彼らは単純に長十を慕って集まっているのだと分かった。
「こんにちは」
「おや、青枝」
長十は高座椅子から身を乗り出して、ノートパソコンにしがみつくようにして画面を見ていた。
「お前さん、パソコンは得意かい? えくせるってんだけど、この十の字がどうにも思い通りに動いてくれなくてね」
「あんまり期待はしないで下さい」
七生は床に立膝を突いて、タッチパッドを操作した。
「ほう。器用に動かすもんだね」
「一応……何をしますか?」
「そーとってのはどうやるんだい? 社員の名簿を、条件ごとに並び替えたいんだよ」
「それなら——」
七生が適当なシートを選んで、方法を説明しようとした時、廊下を歩く足音が近付いて来て、声と同時に障子が開かれた。

 


「長十さん」
立っていたのは七生の知らない男だった。三十絡みだろうか、特徴のない中肉中背で、特徴もなく髪を短くしている。スーツを着ているので傘下の会社の幹部かとも考えたが、それにしてはうだつの上がらなそうな顔をしていた。
「すみません。お仕事中でしたか」
男は謝ったが障子を閉めようとはしない。
「ああ、良いよ。入んなさい。これはうちの青枝。パソコンを教えて貰ってたとこさ」
長十に紹介されて、七生は膝に手を下ろし、黙礼をした。
男は疲れた目で七生を捉えたまま、軽く頭を下げた。
「初めまして、夏原です」
「頼長の執事だ」
長十が言葉を加える。
「執事?」
よく分からないが、七生には何だか偉そうな職に聞こえた。
夏原が据わり悪そうに眉を顰める。
「いや、辞めようと思ってます。その話もしようと思ってたんですが」
「辞めてどうするんだい?」
「知り合いの弁護士事務所で使って貰えそうなんで、そこで世話になります」
執事は名前を聞いた事しかないが、弁護士は七生にも分かる。所謂、エリートというやつだ。
(大層な学歴と資格を持って、ふらふら余所の仕事にちょっかいかけて、飽きたら人脈使って本就職か)
そう思って見ると、夏原の軽薄な佇まいが途端に嫌味に見えてきた。
長十が帯に差した扇子を取り、藤の絵と白檀の香りを広げる。
「そうかい。まあ、暇を見てまた頼長と遊んでやっておくれ」
「はは。オレなんかより気の利く奴が、他に幾らでもいますよ」
夏原は無意識だったかもしれない。
だが、確実に七生を見た。
自分は御立派な仕事に就き、厄介な子守は七生に押し付けていこうという腹か。
七生は苛立つのもくだらなく思えて、カーソルを動かし、夏原を視界に入れるのを止めた。

 


それから、夏原には斎姫家で何度か会うようになった。
会う度に七生は、
(ざまあみろ)
と思った。彼が斎姫家にいるという事は、彼の人生が思うように行っていないという事だろう。
「夏原さん。これ、先方へのお土産です」
長十に言われて取って来た梅のジュースはガラスの分厚い瓶に詰められていた。
「重い!」
「こっちは坊ちゃんの水筒と軽食と着替え」
続けて夏原の指に別の紙袋を掛ける。
「指が反れる、折れる」
夏原が訴えて来たが、聞く耳を持つ義理はない。七生は自分の仕事をこなしただけである。
七生は頼長と夏原を送り出し、役に立たなかった靴を靴箱にしまった。
「青枝」
「はい、親方」
顔を上げると、長十がいつになく優しげな眼差しで七生を見ている。
「お前さん、あのお人が苦手かい?」
「……そうです」
隠す必要もないだろう。
「ああいう、自分の意志で人生を選んで、この世に功績を残すような、生きてるって感じの人は理解出来ません」
「そうかい?」
「おれとは種類の違う人間です」
七生は何も遺せない。
七生には何もない。
消費して生きて、生産せずにいつか死ぬ。そういう人生だ。
「そうかい」
長十は深くは問い質さず、廊下を引き返して書斎に戻る。七生は長十が高座椅子に座るのを見て、薄い毛布を彼の膝に掛けた。
「七生。うちに来て何年になる?」
「もうすぐ三年です」
「道理で一丁前になる訳だ」
長十の細めた目に厚い親愛の情を感じて、七生は顔を伏せた。

 


七生は随分と以前から家族と折り合いが悪く、高校生を卒業するといよいよ家にいるのが苦痛になって、インターネットカフェや深夜営業の飲食店を渡り歩くようになった。
似たような境遇の人間は思っていた以上にいて、互いに情報や知恵の共有が行われた。それらは七生を助けもしたが、決して安全な情報ばかりではなかった。
ある時、知り合った少年の一人に、数時間で済む単発の仕事があると誘われた。
このアルバイトはよくない、と七生が気付いた時には引き返せないところまで来ていて、ぼろぼろになって金と共に路地裏に捨てられるか、下手を打てば海の底に沈められるのではないかと、最悪の想定を余儀なくされた。
七生は恐怖を覚える反面、それでも構わないような気もしていた。自分の人生への期待が既にストップ安を極めていたからだ。
警察に捕まって、親にまたしたり顔で嘲笑われるくらいなら、一生会わずに済む方がマシだ。
七生はまるで他人事の様に、薄っぺらい覚悟を腹に括り付けた。
しかし、七生に訪れたのは全く別の結末だった。
長十が変えた。
アルバイトが行われる筈だったビルが長十の、言ってみれば縄張りの中にあり、前々から違法使用を押さえる機会を窺っていたという。
踏み込んで来た巨漢の何人が長十の部下で、何人が警察だったかは定かではない。
雇い主に置き去りにされた七生は、代わりに長十に拾われた。
大勢の食卓に放り込まれて、腹一杯にさせられた。
仕事場に連れ出されて、有無を言わせず鉄パイプやワイヤーを運ばされた。
六畳一間の部屋を充てがわれて、家賃光熱費は借金として計上し、返済は分割して、毎月の給料から天引きされた。
そうやって、流されるまま生かされたのが七生だ。
七生は、青枝七生という人間がどれほどくだらないか知っている。
何も遺せない。遺したくない。こんなくだらない人間の生きた跡に何かが遺ると考えただけで、気持ちが悪くて、醜悪で、おぞましくて、振り返るのが怖くて、足が竦んだ。

 


「どうだろうねえ」
長十が老眼鏡を掛けて、密やかに微笑む。
七生には、長十が自分の言った事に自ら首を傾げたように聞こえて、訝る思いで視線を返した。
長十が人差し指でぺこんぺこんとキーボードを押す。
「お前さんから見たら、あたしも業突く張りの我が道野郎って事になるのかね」
「親方は違います」
七生は反射的に答えてから頭を働かせて、自身の言葉に追い付こうとした。自分が何を言ったか、逐一覚えてなどいないが、意志を持って人生を切り開いているという部分では、夏原より成程、長十の方がその気が強い。
「親方は違います」
七生はくり返した。くり返す事しか出来なかった。
「意地悪を言っちまったね」
長十の笑い方には気品があり、七生とは別次元の人間だと思い知らされるが、不快な気持ちにはならない。
夏原には視界から消えて欲しい。
長十はこの世からいなくなるのも嫌だ。
七生は乱れてもいない膝掛けの端を直して整えた。
「おれより先に逝かないで下さい」
「無茶を言うんじゃないよ」
長十に笑われて、七生は頭を振った。彼が呆れた顔で見下ろしているのが分かったが、顔を上げられない。
「嫌なもんを好きになれとは言わないさ。ああ嫌だなあ、おれの懐には入れねえぜ、とでも思っておきゃあ良い。皆、好きなもんを拾い集めて生きてるんだ」
長十が軽く握った拳の甲で七生の胸元を突く。
七生が生きた跡には何も遺らない。
ここには何が入っているのだろう。
自信も、誇りもなく。
七生は自分から目を逸らして、パソコンの画面に意識を逃した。
小さな違和感が羽虫の様に飛び交って、七生の視界にちらついた。

 


「御馳走様でした」
その日、七生が空の食器を重ねた時、周りはまだ食事の只中にあった。大体、いつもの光景である。
「坊ちゃんと七生は食い終わるのが早いな」
「食べる量が少ないんですよ。もっと食って体力付けろ」
「はあ……はい」
班長と先輩に返事はしたが、七生の胃は白米最後の一口直前で限界に達している。
七生は座布団から立ち上がり、重ねた食器を手に廊下に出た。襖も障子も開け放されていたので、畳より足の裏がひんやりとする以外は、部屋の外にいる感覚はあまりしない。
(エビ天、美味しかったなあ)
七生は部屋の外周に沿って廊下を曲がった。
「坊ちゃんの執事さん。酒は良いので?」
「まだ仕事があるので」
その声を聞いた途端に、七生の腹を満たす充足感が、油の様に重くもたれる。長らく溜めて発酵したそれは、泡が弾ける度に厭な臭いをさせて、七生の食道へと吐き気と共に籠み上げるようだ。
カチャ、と食器が小さな音を立てる。
七生は左手で茶碗を支え、右手で口元を覆った。皮の硬くなった指先が頰にめり込んだ。
どうしてこんな人間がいるのだろう。
「遅くまで大変ですね」
「いやあ……」
この適当な苦笑い。
(狡い)
油がどろどろと濁って異臭を放つ。
彼が持つものを、七生は何ひとつ持たない。法学部で学び、検事になって、あっさりとそれを捨てて執事——何だそれは?——になり、また簡単に辞めて法の世界に戻る。戻ったくせに、こうやって七生の視界に割り込んで来る。
「最近、手伝った仕事が工事現場の事故で勉強したんですが、足場にも色々あるんですね」
「普通の人は見ないでしょう。終わったら取っ払ってしまうもんですから」
隣り合った社員達が慣れた調子で笑う。
夏原は彼らに合わせて軽薄に笑ってから、また、「いやあ……」と曖昧な言葉で接いで、言った。
「皆の生命を守って、跡には何も残さない。ヒーローのようだと思いました」

 


七生は、根を張ったように動かない足を引きずって、襖の陰から先に進んだ。
目に入らない。
形には残らない。
生きた証など、欲しいとも思わないが。
台所へ食器を下げると、頼長の母親の寧が梨を剥いていた。
「青枝君、お腹いっぱいになった?」
「はい。あの……」
七生が腹をさすると、油の厭な臭いは消えて、海老と白米と漬物の味が思い出される。
寧達夫婦と料理心のある社員達によって用意される山の様な料理は、いつも綺麗に空になった。
『坊ちゃんと七生は食い終わるのが早いな』
そういえば、言葉にした事はなかったかもしれない。
「美味しかったです。……いつも」
「そう! 嬉し」
寧が晴れやかな笑顔を浮かべた。
「青枝。見ろ、エラフスホソアカクワガタが出た」
シンクに積まれた食器を洗う七生に、頼長がおもちゃの虫を突き出して迫る。
「あー……良い虹色ですね」
「分かるか! お母さんは分かってないから、カメムシとか玉虫とか言うんだ」
「玉虫色じゃないの。カブトムシって黒いんでしょ」
「クワガタだってば!」
寧の無関心さに、頼長が地団駄を踏むと、振動でテーブルから食玩が入っていたらしい菓子の外箱が落ちる。七生は床にしゃがんで、空の外箱を拾った。
(あー、泣きそう)
斎姫の家に来て三年。
七生は漸く、幸福を自覚した。

 

(了)

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