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[薬屋]花屋さんと音のお話

*『薬屋探偵妖綺談』番外SSです

 

 

 

 

 

 

日本の四季は美しくもあり、厳しくもある。
赤道直下に比べれば、日本の夏は陽だまりも同然で、涙も凍る南極を引き合いに出されれば、日本の冬など溶けた保冷剤の様なものかもしれない。
しかし、そこに暮らす人々は気温の変化に振り回されて、古式ゆかしい生活の知恵から最新の家電まであらゆる手段を尽くし、目の前の苦難を乗り越えようとした。
そのひとつが体感温度だ。
人間はストレスを感じると、交感神経が緊張状態に入り、血管を収縮させて危機に備える。生き延びようとする本能だ。
プレッシャーを感じて指先が冷える。
高い所に立って青ざめる。
危うく失敗しかけてひやっとする。
そして、怖い話を聞いて震えが来る。
自らに生命の危機を感じさせる事で涼を取ろうというのだから、人間は貪欲だ。目的の為には手段を選ばない。
だが、彼らの欲があってこそ人間社会は発展し、また、彼らの欲があってこそ生まれた妖もいるのだろう。

 


ジアカイは芝刈り機のカタログを眺めながら、右手を宙に這わせた。
「色々あるもんだな」
棒の先に回転刃が付いただけのシンプルな機構から、手押し車の様な形をしたもの、人間が乗り込めるものもある。電動とガソリン駆動とでも分かれるようだ。
庭木や地植えの植物はイェンリィに任せてあるが、彼は現代に至っても尚、手作業で全て行っている。
何処かの悪魔と違って金がない訳ではない。
カイは金儲けが嫌いではない。分類するならば好きな方に入ると言っても良い。
金銭は概念だ。
硬貨、紙幣、そのものに物質的価値はなく、飽くまで人間同士の約束事の上に成り立っている。また、その約束事すら瞬きの間に変動し、一所に長くは留まらない。人間の根幹に食い込んで複雑に絡み合い、仮初めの幸福や絶望的破滅を与えながらも、現実には存在しない幻の共有だ。
無いものを在るとする遊戯のようで、カイの目にはとても面白く映る。
それに、単純に便利だ。人間の画期的発明と言っても良い。
だから金銭的余裕がなくてイェンリィに芝刈り機を買い与えていない訳ではない。カイは世の中にそういう物があるという事を失念していた。
イェンリィは自分の望みを言わない。不平も不満も言わず、言われた事を黙々とこなす。
文字通りの沈黙だ。
彼はカイには声を聞かせない。

 


「……ん?」
彷徨っていた右手の先が、期待したのと異なる感覚に触れて、カイはカタログから顔を上げた。
飲みかけのコーヒーはマグカップに入っていた。が、手に触れているのは、紙製のタンブラーである。その向こうには淡色の髪が見え隠れして、机の陰から楽しそうな声が提案した。
「喝了茶、再淡」
「……什公?」
見知らぬ相手から勧められたものを口にしないのは当然の事ながら、比較的親しい間柄でも、彼の差し出すものは決して不用意に飲んではいけない。
彼はふふと笑って、立ち上がった。
「やあ、カイ。差し入れの内容を尋ねるなんて不粋だね」
「学習能力が正常に働いている証拠だ」
「心身共に健康で素晴らしき哉」
「こら、秋。鉢植えに捨てるな」
言うだけは言ったが、カイは正直、注意する前から諦めていた。自分が飲まずに済んだ事の方を喜ばなければならない。
紙タンブラーから注がれた液体が、その色を確かめる間もなく鉢植えの土に吸収される。三秒で土の表面が乾いた事はまだ暑さの所為だと思えたが、扇の様な葉の付け根に薄紫色の花が咲いた事は流石に奇異と言わざるを得なかった。モンステラにこんな花は咲かない。
「毎日暑くて嫌になるよね」
身体的に体温を下げる飲み物だったのか、精神的に肝が冷える飲み物だったのか、言及するのはやめておこう。
秋の前で目を離したマグカップを再び手に取る気にはなれなくて、カイは冷蔵庫から林檎ソーダの瓶を二本取り出し、一方を秋に向かって放り投げた。

 


「その冷蔵庫には青島啤酒しか入ってないと思ってた」
秋がくだらない軽口を叩いて栓を開けた。
傾けた瓶の中でソーダの流れと反対方向に微細な泡が上る。秋の細い喉が微かに動いてソーダを飲み込むと、炭酸に刺激されたのだろう鼻筋に皺が寄って、彼の表情を子供の様にあどけなく見せた。
秋の容姿こそ、性質の悪い、悪趣味な罠だ。美しい外見に引き付けられ、幼さに油断して騙される。妖としては大変、優秀な造形をしていると言えるだろう。
カイは騙されないから関係ないが。
こう見えても生まれて久しい妖怪だ。あらゆる欲は楽しむもので、翻弄される若気も、溺れる浅はかさも疾うに克服済みである。感情は金と等しく、自分が優位に立つ為に利用出来る便利な概念のひとつに過ぎない。
カイは瓶の蓋を開け、控えめな林檎の果汁で喉を潤した。
「イェンリィ。こんにちは」

 

リン。

 

秋が手を掲げると、イェンリィが手首に下げた鈴を鳴らして応える。
「この花? カイがジュースを捨てたりするから。困るよねえ」
ジュースを捨てる事と花が咲く事に因果関係がある時点で、最も怪しいのは薬屋の秋であろうに、彼は悪怯れもせず責任転嫁をしてのけた。
イェンリィは不思議と楽しそうに謎の花を眺めて、秋の話を聞いている。考えを口に出さない、感情を顔に出さない彼が、珍しい事もあるものだ。
否、イェンリィは一度だけ、カイの前でも口を利いた事がある。
そうさせたのは秋だった。
「セルヴァンは魔法の手を持っているんでしょ? 夏でも木が元気になるやつ。それって僕には効かない?」

チリン。

「無理かあ。今ほどキジムナが羨ましいと思った事はないよ」

 

リン、リン。

 

「この際、気温は我慢するから、湿気だけでもチチンプイで急降下してくれないかなあ」
この会話は正しく成立しているのかいないのか。桜庭零一が否定しか返さない時でも、秋はこんな調子だから、成立していなくとも関係ないのかもしれない。
「イェンリィ、ここは良い。作業に戻れ」
カイが間に入ってイェンリィを解放すると、彼の鈴の代わりに秋が不平を鳴らした。
「ブラック上司の横暴だー」
「お前の暇潰しにうちの従業員を付き合わせるな。どうせ大して暑いとも思っていないだろう」

 


夏でも冬でも似たような薄着で平然としている秋が、今更、温帯の気候如きで音を上げる訳がない。
「暑いよー。僕ほど繊細な生命体は全宇宙探しても噂にすら聞こえず徒労に終わるだろうね、カイってば可哀想」
「途中から奇妙しいぞ」
「全宇宙を探して漸く噂に聞いて出どころを辿って世界中放浪した末、遂に辿り着くのが僕の所なんだね。おかえり、カイ」
「あーあー、分かった」
論理的な仮面をかぶった物言いをする時でさえ理論に興味のないのだから、秋と口論するほど無駄な時間はない。
「そんなに暑いなら、ひとつ、怖い話をしてやろう」
「怪談? 理不尽? スプラッタ?」
カイが手の平を上へ向けて人差し指を上下させると、秋が注文書を載せる。目はキラキラと輝いて、散歩に行くと告げられた犬の様だ。
「意味が分かると怖い話ってやつだ」
カイは台帳を机に広げ、注文書と照らし合わせながら話を始めた。

 

 

      *


これは、知り合いの山童から聞いた話だ。
昔ある所に、独り身の人間がいた。両親は随分以前に鬼籍に入っていて、連れ合いも昨年、病いでこの世を去った。一人娘がいたが、山三つ向こうの村に嫁いで行った。
朝日と共に起き、昼は畑を耕して、日が暮れたら床に就く。
決して裕福な生活ではないが、際立った困窮もなく、大きな幸せが彼の身に起きる事は最早なかったが、既に通り過ぎた人生で全て味わって来たから心は暖かだ。
いずれ自分にもお迎えが来るだろう。
男の平穏な日々は、しかし、ある日を境に恐怖に浸食された。
音だ。
そう思ったのが始まりだった。
最初は気の所為だと思った。寝返りを打ち、枕に反対の耳を押し付けて、目を閉じた時、

 

カリ……

 

木を尖った物で引っ掻くような音がした。
『ネズミか?』
男はわざと声に出した。人が近くにいると分かったら、鼠が息を潜めて大人しくなると思ったからだ。しかし、音はしつこく鳴り続けた。

 

カリ、カリカリ

 

いい加減にしてくれ、寝入り端だったのだ。男はそう思って、布団に潜り、眠ってしまおうとした。

 

カリカリカリカリカリカリガリカリカリカリカリカリカリカリカリカリガリカリカリカリカリカリカリカリガリカリカリガリカリカリガリガリカリカリガリガリガリガリガリガリ

 

『五月蝿い!』
男は布団を跳ね上げて怒鳴り付け、手探りで掴んだ盆を壁に向かって投げ付けた。
使い古した木製の盆は壁に当たって床に落ち、二周ほど回転したようだ。暗闇が静寂で満たされて、男は冷えた腕を温かな布団の中に引き戻した。
その直後だった。

 

ドン!

 

『!!』
壁が外から叩かれた。正確には、壁から拳で叩かれるような音がした。
鼠ではないのか。断じるのはまだ早い。鼠が驚いて目を回し、混乱して壁に体当たりしたのかもしれない。

 

ドン!

 

音がする。
少し、場所がずれている。

 

ドン!

 

音がする。
更に北側へ回ったようだ。

 

ドン!

 

音がする。
このまま移動すると、先にあるのは土間の木戸。
男は息を呑んだ。その音が聞こえてしまうのではないかと不安になって、両手で口と鼻を押さえた。
聞こえてしまうとは、誰に。
自問自答は男の頭を巡る血液ごと凍り付いた。

 

トントン。

 

木戸が、忍びやかに叩かれるように鳴る。
鼠ではない。
男が布団に突っ伏して悲鳴を上げると、木戸は暫くの間、断続して音を鳴らした後、夜の向こうへ遠退くように消え去った。

 


真夜中の物音は、それから何日も続いた。
壁を引っ掻くような音がする。壁を乱暴に叩くような音がして、木戸に至る。
男は昼の間に虎鋏を仕掛けておいたが、どれひとつとして痕跡を捕らえる事すら出来なかった。音の主は夜闇の中でも目が利くのだろうか。
これはいよいよ物の怪の類いかもしれない。
男はお天道様の下、欠伸を噛み殺して土を耕しながら考えた。
姿の見えない音は恐ろしい。
恐ろしいが、感覚が麻痺しつつあったのも事実だった。
音の主は、眠りを妨げはするが、直接、危害を加える訳でもない。自分はいつコロリと行ってもおかしくない余生も余生だ。今更、何を怖がる事があるだろう。近頃では音にも慣れて、移動の合間にはうとうとしているくらいだった。
そう思ったら、男の恐怖はすうっと消えて、柔らかい土の手触りとその大らかな匂いに守られている感覚に包まれた。
人間と妖は共には生きられないが、傍では生きられる。
日々に伝わる多くの慣習がその証拠だ。

 


その夜も、壁は引っ掻かれるような音を立てた。
だが、今日は違った。
男は盆を投げ付けなかった。
上体を起こして、薄い掛け布団を腹の上で折り返し、暗闇の中で目を閉じて音を聞いた。
入れてくれと言うでもない。入っておいでと言わない限り、木戸を鳴らすだけ。

 

カリカリカリ。

 

入れてやる事は出来ない。
人間と妖は共には生きられないのだ。だが、傍で互いに生きている。

 

カリカリガリカリ。

 

男は赤子の泣き声を聞いているような心地になった。毎晩聞こえる音に愛着すら湧いていたのかもしれない。まだ幼い娘が夜泣きして、妻と交代で抱きかかえ、あやしていた頃を思い出すと、男の口元に自然と笑みが浮かんだ。

 

カリカリ。

 

『もしかしたら、お前も寂しいのかね。儂でよければ話し相手になってやろうか。中に入れてやる事は出来ないがね』
音が止んだ。
いつもなら壁がドンと叩かれる音をさせるところだ。
が、今日は違った。

 

ミシィ……

 

木が撓むような音を立てる。
頭上、屋根を支える梁だ。
老いた耳では聞き取るのが困難なほど低い声で、何かは男に言った。

 


『おれはさいしょから——「怯えなくなったら用無しだよねえ」

 


「…………」
カイは二の句が継げなくなって、暢気な声で話に割り込んで来た秋を見据えた。
秋は林檎ソーダの瓶から口を離して、小さく息継ぎをする。
「秋。お前、最後まで聞けよ」
「カイ、そういう様式美に拘るっけ?」
秋がきょとんとする。確かに常日頃のカイならば、意図が正しく伝わった時点でカットインして貰う方を好む。話が端的に済むからだ。しかし、
「怪談から情緒と風情を取ったら何が残る」
「愚かな人間か間抜けな妖怪の馬鹿ばかしい失敗」
「その通り」
「やったー」
他に言い様がなくてカイが予定外の答えを返すと、満面の笑みで正解を喜ぶ。話が完全に脱線して熱気球に乗り換えた気分だ。
「カイが珍しい事を言うから、ちょっとだけひやっとしたかな」
「気を遣わなくて良いぞ」
「そう? 林檎ソーダは美味しかった。ごちそうさま」
秋が空き瓶を机の端に置く。
カイは嘆息する気も起きなくて、注文書の全項目にチェックを入れた。
「三日で準備する」
「一日……半」
「一日半」
「ふふ、ありがと。誰かに取りに来させるね」
秋は軽やかに踵を返して、思い出したように歩を留める。そして、何も言わず、笑顔で手を振って店を後にした。

 


それからきっかり三十六時間後、商品を受け取りに来たのは秋の弟子の小妖だった。
「カイさん、こんにちは!」
何にそれほど緊張する理由があるのか、リベザルは決まりきった挨拶をする声にさえ満身の力を籠めて、力んだ両の拳を震わせてすらいる。
こんなに全力で生きていて疲れないのだろうか。彼は下手な人間よりあらゆるものに怯えて生きているように見える。
「そういえば、つまらない話があってな」
「? はい」
カイは思い立って、秋にしたのと同じ怪談をリベザルに話して聞かせた。
秋は——薄々分かってはいたが、怖がりもしなければ、頭を悩ませる事もなかった。では、リベザルはどうだろうかという、カイの興味本位な気紛れである。

 


リベザルは面白いように怖がった。
しかし、頭を悩ませはしなかった。
彼は話をお終いまで聞いて、居た堪れない様子で身動ぎした。
「怖がらなくなったら、取り憑いてる意味がなくなっちゃうのに……」
「お前、ちゃんと妖なんだな」
「え! はい。俺、人間じゃないです」
リベザルが困惑して答える様が、尚更、カイをしみじみとした気持ちにさせた。彼は余りに小さくて、人間に紛れて暮らす内に価値観まで感化されているのではないかと思ったが、カイの侮りだったようだ。
短い手足ながら、リベザルが懸命に身振り手振りをする。
「俺も人間の事を驚かせますけど、罠に引っ掛かった事はあるから、凄いって思いました」
「家だからな」
「家?」
「壁が鳴るとか、戸が音を立てるって言っただろう。家自体が鳴ってたってオチだ」
「あー! だから、罠も……わあー」
本来の目的を外れて、意味が分かって感心する話になってしまった。

 


リベザルが話を思い返すように俯き、思い当たっては顔を上げて感嘆する。彼は三度ほどそれを繰り返して、不意に眉間に縦皺を刻んだ。
「どうした?」
「あの、音だけで気持ちを伝えるのは難しそうだと思ったんです。何をして欲しいのか訊ければ、ずっと一緒に暮らせたのかなって」
「……怖がって下さいって答えられて、怖がれるものか?」
「あ! そうですよね。二人とも幸せになる方法はないのかあ」
リベザルがしゅんとして項垂れる。彼が今、人間に化けていなかったら、ブラシの様な赤い尻尾がぺたんと地に横たわっていただろう。
彼の姿に罪悪感を覚えるほど善良な心は持った事がない。カイは紙に包んだ木の根や冬虫夏草を重い順に袋に詰めて、偶々、視界に入ったカラフルな箱を三つ、一番上に放り込んだ。
「注文の薬種と貰い物の菓子だ。秋が前に気に入っていたから分けてやれ」
「師匠が?」
リベザルの頭が途端に上を向く。
「ありがとうございます」
「確実に帰れよ。秋に疑われるのは御免だ」
「はい! ありがとうございます」
リベザルが紅潮した頰を弛ませて何度も礼を言うので、カイは半ば追い出すように彼を帰らせた。

 


思わぬ相手が、思いがけない事を言う。
会話とはそういうものなのかもしれない。
(音だけでは分からない)
カイは帳簿の間に立てたカタログを手に取って、パラパラとページを捲った。
何を考えているのか。何を望んでいるのか。
「イェンリィ」
戸口から呼びかけると、庭木に散水していたイェンリィが水を止める。カイは先に店内に戻り、椅子に座って、彼が来るのを待った。
イェンリィは急ぐ事もなく、まるで密やかに流れる気体の様に机の傍に立った。
彼はこの世に執着がないらしい。近くにいてさえ稀薄に感じられるのは、彼自身が存在する事を強く望んでいない所為だ。手足に付着した泥、髪に浴びた太陽の匂いが、辛うじて彼がそこにいる事を教えている。
(訊ければ……)
不可能でないにも拘らずそれをしないのは、意地か、怠慢か、いずれにせよつまらない話だ。
カイはカタログを彼の方に向けて見せた。
「この中で良さそうな物はあるか?」
無音の底で、左右、翠と碧の瞳が等しく紙面を見詰める。
イェンリィはカイに声を聞かせない。

 

チリン。

 

手首の鈴を鳴らして、指を差す。土が入った歪な爪が示すのは、電動の小型芝刈り機だ。
イェンリィは考えている事を言わない。
カイが訊かなかった。
「ハハ」
一度、口を衝く笑いを発したら、次から次へと可笑しさが込み上げて、カイは自身の頭をわしゃわしゃと掻き回し、雑に巻いたタオルを後頭部へと取り払った。
イェンリィはにこりともせず佇んでいる。
「分かった。これにしよう」

 

リン。

 

鈴の音が素っ気なく応えて、背を向ける。セルヴァンは働き者だ。
「迷ったらまた訊く」
カイが彼の背に言うと、泥塗れの靴が歩を留めた。
「——……」
少しだけ振り返ったイェンリィの表情は、逆光で確かには見えなかった。

 

(了)

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