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[薬屋]嘘吐きたちのお話
*『薬屋探偵妖綺談』番外SSです


 依頼人が消えた。
桜庭零一は生活感だけが残されたもぬけの殻に佇み、憤りに拳を固めた。
前時代的な古いアパートメントだ。街並みを守る条例で外観に影響を及ぼす改築は許されず、古い設備と現代の機器をちぐはぐに組み合わせて、不便な生活をどうにか一歩脱したという荒んだ風情の部屋である。
窓が小さいのも外観云々の影響だろう。天井近くに張られたロープが、外に干せない洗濯物の重みで撓んでいる。暖炉は冷え切って、使いさしの薪がだらしなく方々を向き、積もった煤が黒い粉雪の様だ。
テーブルの上にはコーヒーが一センチ残るカップと、ビスケットの滓が散った白い皿、真新しいカードゲームが置かれている。


零一は独り、嘆息した。
悪魔を出し抜こうとする人間は決して少なくない。人間にはない能力を利用して、恩恵だけを得て、報酬を支払わない。そんな小賢しい算段を利口とする向きが人間にはある。
人間が悪魔に頼る時点で既に悪足搔きだ。自然に失われる筈の生命と引き換えに不自然な人生を手に入れておきながら、いざ支払いという段に及ぶと、何割かの人間は分かりきっていた絶望を受け入れられない。
彼らは足掻く。
形振り構わず足掻く人間は嫌いではない。それでこそ悪魔にも付け入る隙が与えられる。人間の欲は悪魔の鉱脈だ。
だが、代償もなく利だけを掠め取ろうという貪欲さはいけない。
零一は黒い前髪の下で僅かに眉根を寄せた。
億劫だ。
勝手に死を選ぶくらいなら、そんな生命は契約通り支払いに使えと思う。教会や反悪魔主義者の懐に逃げ込んだとしたらもっと厄介だ。
人間は悪魔から恩恵だけを受け取って、神の名の下に恩人を屠ろうとする。
「…………」
零一はテーブルからカードゲームの箱を取り、ドアを通って部屋を後にした。


予定が狂った。
仕事上がりにはいつもより少し手の込んだ食事をする事にしていた。その後は俗世に塗れた人間に紛れ、混沌と欲望の渦巻く醸造酒の様な空気に酩酊を気取るのも良い。正反対に誰も来ない高層建築の天辺で、眼下で蠢く生命の光を、色とりどりの金平糖を眺める心地で見下ろしても良い。
今日はどちらもお預けだ。
零一は仕事を完遂出来なかった。
——という時に限って、神経を逆撫でしに来るのが彼である。
「やっほー、ゼロイチ。仕事終わった? 懐ぽっかぽか? 何か奢って」
「ゼロイチって呼ぶな」
能天気な物言いに反射的に言い返して、零一は狭い丸テーブルの向かいを睨め付けた。
薄暗い店内は、仕事帰りに雪崩れ込む人々で殊更、照明を遮られ、周囲の人間が背を向けているのかこちらを向いているのかもろくに判別出来ない。
暗さを盾に見えないと言い張って他人のフリを決め込んでもよかったが、残念ながら顔が見えないくらいで認識出来なくなるほど、彼と零一の間柄は幸運ではなかった。


「秋」
零一は滅多に呼ばない名を呼んで牽制したが、元から彼には零一の不服を聞く耳が装備されていない。
「水でも良いよ。どうせ酔わないし」
「金に困ってないだろう」
「お金に困って奢って貰ったら厚意の種類が違っちゃうだろ」
「どんな種類の厚意も持ってないけどな」
「あははー、知ってる」
満面に笑みを広げると、端正な顔立ちがほんの少し崩れて人間味を帯びた。
秋は柘榴が沈んだグラスを零一のグラスに一方的に当て、気泡の立ち上る酒に口を付けた。
「何持ってるの?」
唐突に問われて、思わず愚直にビールのグラスだと答えそうになる。零一はグラスを持ち上げても秋の視線が動かない事に気付いて、テーブルに置いていたカードゲームの存在に思い至った。


「『お前は人狼か?』」
「違うよ」
「そういう名前のゲームだ」
「知らない」
秋が首を傾げる。
珍しい。零一は意外な気がして、ビールを飲み込む喉が歪に上下するのを感じた。
騙し合い、騙り合い。その性質もさる事ながら、零一以上に人間の間近で暮らす秋の方が流行りに詳しいと思っていた。
「元はマフィアと市民の抗争を舞台にしたゲームだ。最近、人狼と人間に置き換えられて、カードセットが発売された」
あの部屋の中で生命の次に価値のある物がこれだったのだから、悪魔に縋りたくなる気持ちも推し量れようものである。
「どんなゲーム?」
「夜と昼、二つのターンを交互に行う殺し合いだ」
「ファンタジックだね」
「人間に殺される事は、実際にはそうないな」
言いながら、零一は箱を開けてカードを取り出した。


トランプより種類の少なく、特別な知識がなくとも見れば分かる。
「プレイヤーは全員、自分だけが分かる状態で役割を与えられる。人狼を見抜いたり、死人を占ったり、仲間を守ったり、特殊な役割はあるが、大きくは『人狼』と『村人』だ」
最も多いのは役職を持たない村人の札。人狼の札には人間が想像する凶悪な狼の姿が描かれている。
「夜、人狼は村人を一人、食い殺す事が出来る」
「ふむふむ」
「昼、人間は話し合いで人狼を特定し、一人を処刑する」
「わお、冤罪待ったなし」
秋が心の籠らない感嘆の声を上げたが、ゲームでは罪もない村人を処刑してしまう事も人狼を追い詰める過程であり手段のひとつとして利用される。
「人狼を全て処刑すれば村人の勝ち、村人の数が人狼と同数以下になったら人狼の勝ちだ」
「話し合いには人狼も参加出来るの?」
「出来る。村人のフリをして紛れてるからな」
「騙し合いと情報操作戦か」
まるで水面に情報の塊を落としたみたいに、秋の瞳が波色に揺らぎ、理解の後に静かな光を湛える。
淡色の双眸に映すのは、醜悪に描かれた狼の本能だ。否、秋自身の本能が水面近くで身を潜め、彼の愛らしい笑顔が人の皮をかぶっているに過ぎない事を思い出させる。
(いつもそうしてりゃあ良いのに)
零一は溜息をビールで飲み下した。
とは言え、無邪気な笑顔と狡猾な詭弁で相手を煙に巻くのも秋の本性の一部ではある。本性を隠すのが本性とは、何ともややこしい男だ。


「お前が人狼だったらどうする?」
「僕?」
零一が単なる興味本位で尋ねると、秋は躊躇いもなく答えた。
「まず自分が惨殺死体側になる」
「……人狼だったら、だぞ? いや、村人だとしても、自己犠牲って柄じゃないだろう」
「ゼロイチに僕の何が分かるのさ。僕だって、目的の為には傷のひとつやふたつ厭わないんだからね」
秋が不本意とばかりに唇を尖らせる。
「目的の為? 死んだらそこで終わりだろう」
「誰が死ぬって? 柄でもない」
言葉を取られて、零一は自分がどちらの立場で何の主張をしていたか見失いそうになった。
秋はグラスを指先で弾いて、酒の底に沈む柘榴の気泡を散らす。
「人間には致命傷に見えて、人狼なら生き延びられる程度の傷を作る。埋葬されたらメインフェイズ開始だ。墓から這い出して、夜な夜な——」
「ストップ!」
口を挟まずにはいられなかった。


「人狼が襲うのは自分以外。人狼が何人いようと一晩に一人までだ」
「人間が作ったルールに従うなんて、随分と行儀の良い人狼だね」
秋はいつでも間髪入れず口が減らない。
「そういう事で良い」
零一は百歩譲って修正を試みた。が、彼の思い通りになるような可愛げは秋にはなかった。
「行儀の良い人狼なら、遺体を残さない。初日から一人ずつ消して、三日目辺りで村人は手に掛けず自分が姿を消す。以降、隠れて一人ずつ襲えば人数の半分の日数で確実にクリアだ」
「お前……」
「埋葬方法ごとの工作も必要なくなったね」
「ルールを守れ」


零一はやっとの思いで一言返して、テーブルに突っ伏した。
グラスに結露した水滴が流れ、手の甲に伝う。ルールの穴を突くのが生業の悪魔に、何という背徳的な注意をさせるのだ。
「待て、役職『霊媒師』は死者が人間か狼かを見抜ける」
「《自分たちが処刑した》人間を、だよね。《狼に襲われた》筈の被害者を視る可能性は?」
「…………」
極めて低いと言わざるを得ない。
人間は、人狼を見付け出せば終わると希望に縋って、不確かな処刑と残虐な夜を乗り越える。そしてある晩、自身の生命を狩りに来た者の姿を見て、必死の努力も、悲痛な決意も、全てが無意味だった事を悟るのだ。
恐怖をも凌駕する絶望である。
「お前、友達いないだろう」
人狼ゲームを知らない筈だ。秋を知っている者なら、彼だけは誘わない。
「あっはは、やだなあ。目の前にまず一人いるじゃない」
「お前を、友達だと思った事は、一度も、ない」
「嘘吐き」
即座に断言する秋のその自信は何処から来るのか。


「見えなくして存在しないと思い込ませるのは、君たち悪魔お得意の手法でしょ」
「!」
秋がグラスを傾けて、漸く一粒、口の中に落ちた柘榴に頬を緩める。
(緩んでいた……)
部屋にあった洗濯物のロープが撓んでいたのは、洗濯物に重量があったからだ。あの洗濯物はまだ乾いていなかった。悪魔から逃れて、今の生活を、或いは生命を捨てようと決意した者は、明日の為に洗濯などしない。
(それに、煤)
暖炉の薪は燃えさしで、且つ無造作に崩されていた。極最近まで使われ、それを誰かが崩した事になる。その上に煤が積もっていた事と併せて考えれば、そう難しい推測は必要ない。
(暖炉の中に逃げたのか)
依頼人はまだあの部屋にいた。零一が来たと悟り、慌てて暖炉に飛び込んだのだ。零一があと三十分居座っていれば、手足が痺れて薪の上に落下して来ていたに違いない。
「……っ」
零一はカードを掻き集めて上着のポケットに押し込んだ。戸口へ向かって秋の傍を通り過ぎ、二歩目で視線だけを振り返らせる。
「親切心か?」
「そういう不純物は持って生まれた例しがないなあ」
「嘘吐き」
零一が間髪を入れず言い返すと、秋があの顔で笑った。

外に出ると太陽は跡形もなく、白い月が世界から影を切り離して闇に落とす。
狼の時間だ。
零一は足音を消して、夜気に融けた。


(了)

 
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