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[薬屋]リベザルと
*『薬屋探偵妖綺談』最終巻の重大なネタバレを含みます
  


それは奇妙な手紙から始まった。

朽ちかけたポストに投函された一通のダイレクトメール。
砂色の洋封筒には宛先も差出人もなく、封もされていない。店員が直接、配ってまわる類いの広告だろうか。
リベザルは家へ取って返しながら、封筒を開いた。
中には四つに折り畳まれたチラシが入っていた。

『年度末大売り出し! 福引き特別賞、米五キロ!』

「ねんどすえおおうりだし、ふくひきとく……」
秋に習いはしたが、日常的に会話で習得したリベザルの日本語は、音がベースにある。文意は考えずに声に出して、音になったものを聞いた方が、呼応して単語がよく思い出された。
「ふく……ふくびき? あ、福引き! で、えっと、とくべつしょう、米……五キロ!?」
リベザルはドアを開けようとしていた手を思わず戻して、両手でチラシを掴んだ。

五キロというと――五の段を順に言って、近い数字に辿り着く、たった七袋でリベザルより重くなる量だ。
「すごい。お米もらえるんだ。五キロあったら、おにぎりいくつ作れるかな」
米は水で炊くから、食べられる状態にすれば更に嵩が増す。
引越しに伴い、剴に少なくない借金をしてしまったので、日常的な消費は抑えたいと思っていたところだ。

封筒にまだ厚みを覚えて中を見ると、小さな紙が束になって入っている。
「ふくびき、ほ……けん。福引きの券!」
印刷された文字をよく読むと、どうやら十枚で一回の福引きが出来るらしい。全部で三十二枚ある。裏面に押されている判子は、山の麓の街にあるスーパーマーケットのロゴだ。
宣伝用に、近隣に配っているのだろうか。
「お米!」
リベザルは首から下げた鍵でドアを施錠し、封筒を握り締めて駆け出した。


* * *

スーパーマーケットは、いつ、何度来ても圧倒される。
森の木には、一本に一種類の実がなる。
人間の店は、無数の種類の食べ物が、それぞれ一本の木になるよりずっと多く集められていた。

(ブドウ、美味しそうだなあ)
山ぶどうに比べると、奇跡の様に大きな実が房になって、しかも実ひとつ傷んでいない。青果コーナーを右手に見て、レジの外側に沿って歩いていくと、リベザルの耳に鐘の音が聞こえた。

「おめでとーございまーす! 五等賞、キャベツ太郎です!」
真っ先に鮮やかな金髪が目に入る。高校生か、大学生のバイトだろうか。赤いエプロンをした店員らしき男は、少女に菓子の小袋を手渡して、二つに結った髪の間をわしゃわしゃと撫でた。
担当者が怖い人間ではなさそうだ。リベザルは遠目に安堵した。

順番待ちの三番目に並び、店員の背後を窺う。
米の袋が積んである。隣には防水ポータブルテレビや、御家族四名様一泊温泉旅行、テフロン加工のフライパンなどが並んでいたが、リベザルには無用の長物だ。
(お米、お米、ごはん大好き)
祈るような、そわそわするような気持ちでリベザルが線に並んでいると、前の女性が抽選器を回し、再び鐘が鳴らされた。
「おめでとーございます! テフロン加工のフライパン大当たりー!」
まだ米は残っている。

「次の方どうぞ!」
「はいっ」
リベザルは返事をして待機ラインを乗り越え、封筒の中身を店員に差し出した。
「あの、お願いします」
「オッケー」
店員が笑顔で受け取って、福引券を数える。

「全部で五回だ。よし、回して」
「え、待って下さい。それ、三十二枚です。十で割ったら、三、余り二です」
学校で勉強した大人でも計算間違いをするのだろうか。或いは、数え損なったのかもしれない。
すると、金髪の店員は不思議そうに首を傾げて、身を屈め、白い布の掛かった長机に肘を突いた。

「どうしてそう言ったの?」
「え?」
よく見ると、店員の男の目は青い。髪を染めた学生バイトかと思っていたが、生来の金髪のようだ。
目尻のスッと上がった利発そうな瞳でリベザルを捉え、彼は問いを重ねた。
「もしも俺が数え間違ったのだとしても、多く間違ったんだったら、ラッキーって引いちゃえば良いじゃん。どうしてわざわざ、自分が損する事を言うの?」
リベザルは一瞬、彼が人前で間違いを指摘された事に腹を立てたのかとも思ったが、どうもそういった様子ではない。スーパーマーケットのあちこちで、初めて見る食べ物を見付けた子供が親に尋ねているような、他意のなさを感じる。

「俺、損してません」
「得は出来たよ?」
「嘘を吐いたり、人を騙して貰った物は、一生、自分の物だと思えないと思うから……です」
リベザルの種族は元々、悪戯をするが、物は盗らない。悪魔の多くは、人間から見れば身勝手かもしれないが、それぞれのルール下でとてもフェアだ。

「納得した!」
店員が立ち上がり、エプロンを一度だけ叩いて皺を伸ばす、
「でも、やっぱり五回だよ。三十枚は福引補助券、二枚は色が違う、福引券だからね」
どうやら、リベザルの方が注意書きを見落としていたらしい。
「ごめんなさい」
「ノープロ! よし、回して」
「はい!」
店員の明るさと笑顔に救われて、リベザルは抽選器のハンドルを矢印の方へ回した。

赤、赤、白、赤、黄色。

「おおー!」
店員が高らかに鐘を鳴らす。もしや、当たりを引いただろうか。
「キャベツ、キャベツ、ウェットティッシュ――」
リベザルの心臓がドキドキする。
「キャベツ、そして、温泉旅行! おめでとー!」
順番待ちをしていた他の客がわっと歓声を上げる。つられて通りかかった客が拍手をする。

米では、なかった。
「はい」
「ありがとうございます」
白いビニール袋に賞品を入れて手渡され、リベザルは複雑な気持ちでそれを受け取った。スナック菓子三袋は嬉しい、かもしれない。
「それと、正直者の少年にはこれをあげよう」
店員がポケットを探る。リベザルがきょとんとして見ていると、彼は赤いエプロンから、赤いカードの様な物を取り出した。

「あ、トーフ・オン・ファイアーだ!」
赤い炎を象ったビニール製のプレートに、白い長方形が埋め込まれた小物である。
深山木薬店が久彼山に移るより前、秋がいたく気に入って笑っていたのを覚えている。秋がここにいたら、きっと喜んだだろう。彼の笑顔が鮮明に思い浮かんだ。

リベザルは頭を振って、金髪の店員を見上げた。
「ありがとうございます」
「うん。またねー」
店員がリベザルの赤い頭を撫でて、最後に軽く二回叩いた。


* * *

キャベツ太郎は美味しかった。
まん丸のスナック菓子に、振ってあるのは青海苔だろうか。何故、キャベツなのかは分からないが、多分、中に入っているか、形がキャベツっぽいからだろうとリベザルは推測しておいた。

「お米、外れちゃったなー」
残念だ。世の中そう上手くはいかない。
無人の公園で、滑り台の降り口に座って、ぼんやりと空を眺める。
冬から春に移り変わろうとしている、水に青い絵の具を溶いたような、透明で薄青い空だ。
「でも、トーフ貰っちゃった」
リベザルは立ち上がり、屑かごに菓子の袋を捨てて、ポケットから赤い炎を出した。

裏返すと安全ピンとクリップが付いている。服や鞄に付けられそうだ。
リベザルは上着の胸に付けようとしたが、マフラーで隠れてしまうので、マフラーの端に付ける事にした。
「へへ」
嬉しい。今度、柚之助に会ったら見せよう。
「あれ?」
リベザルは火豆腐のプレートをまじまじと見て、豆腐の隅に文字が書かれている事に気が付いた。

数字だ。
小さすぎて、手書きか印刷かの見分けは付かないが、アラビア数字で『4』と書いてある。
「何だろう?」
製造番号か何かだろうか。その時、

「きゃあ」
「!」
突然の悲鳴に、リベザルはマフラーごと火豆腐を手放して、辺りを見回した。
砂場に女性が蹲っている。砂に足を取られたのか、縁から足を踏み外したのか、ぴくりとも動かない。
「あの、大丈夫ですか?」
リベザルが恐るおそる声を掛けると、女性はひどく咳をして、髪の先が地面に付くほど深く項垂れた。

「寒くて……足がもつれてしまいました」
答える声はマスクに籠って、大きな眼鏡の下が翳っている所為で、顔色が一層、悪く見える。微かに漂う香りは、おそらく何かの漢方薬だ。秋の調合室にもあったが、リベザルにとっては良薬鼻に苦しだった。
「お腹が空いているから余計に寒いのかもしれません。大変、不躾ですが、よろしければその――」
そうだ、リベザルはちょうど良い物を持っているではないか。
「これ、どうぞ!」
「お菓――へ?」
女性が一寸、顔を上げた。

「温泉旅行に行けるみたいです。旅行、だから、ごはん付いてると思うし、温泉に入ったらあったまります」
我ながら、名案である。
「え、でも……」
「これ四人用で、俺、そんなに要らないから」

三ヵ月早ければ、秋と座木と、柚之助も誘って、温泉に行くのも楽しかっただろう。柚之助は、リベザルと行く温泉にあまり良い思い出を持っていないかもしれないが。
リベザルが女性に宿泊券の封筒を手渡すと、彼女は魂が抜けてしまったみたいに、虚ろにリベザルを見る。人に見られるのは苦手で、リベザルは視線をビニール袋に逃がした。

「あ、お菓子も食べますか? あと二袋残って」
「いえ! 充分です!」
女性がリベザルの手首を掴んで止める。
「よかった」
リベザルがホッとすると、女性は俯いて顔を髪に隠す。それから、リベザルのマフラーに目を留めた。
「それ……」
「トーフ・オン・ファイアーです! 貰ったんです」
嬉しさの勢いで、初対面の人に馴れ馴れしく答えてしまった。

「あ、ごめんなさい」
「お好きなんですか?」
女性が伺うように尋ねる。
「? はい、好きです」
「では、よかったらこれもどうぞ」

女性はコートのポケットを探っていたかと思うと、中から黄色いプレートを取り出した。
「炎が黄色になった!」
火豆腐の、赤い炎部分が黄色になっている。
「すごい、すごい、師匠に見せたらきっと……!」
「師匠?」
「あ……」
女性に聞き返されて、リベザルは我に返った。店に帰っても、秋はいない。

「俺の、師匠です。すごく、すごいヒトで、憧れです」
「素敵ね」
女性の声が微笑んで、優しい手がリベザルの頭を撫でた。


* * *

火豆腐が二つになった。
ゲームで、残機が増えた気分である。

リベザルは火豆腐を二つ、マフラーに縦に並べて付けて、首を傾げた。
豆腐に文字を書くのが流行っているのだろうか。黄色の火の中の豆腐にはラメの入った水色のインクで『1/7』と書かれている。
「一月七日? もう過ぎちゃってるけど」
過ぎたから、要らなくなって、リベザルにくれたと考えると合点が行く。リベザルと寒がりの女性はお互いに使わない物を有意義にトレードした、ダブルわらしべ長者という訳だ。素晴らしい。

「ねえ、君」
「!?」
指向性のある、厳しい声音が鼓膜に突き刺さる。
リベザルは反射的に身を竦めて、原型に戻って物陰に隠れてしまいたい衝動を既のところで踏み止まった。

リベザルが歩いていたのは、公園から家に帰る途中にある桜の並木道だ。
枝の節々に蕾が見付けられたが、まだ小さく小さく固い。木と木の間には時々、簡素なベンチがあって、彼はそのうちのひとつに腰掛けていた。
目深にかぶったパーカーのフードから、薄茶色の髪がのぞいて見える。
チェックのズボンの裾を、編み上げブーツの中に入れる。脹ら脛までしかなく、紐を途中の穴までしか通していないので、動いたら裾がすぐに抜けてしまいそうだ。
華奢な体型で、パーカーの下は薄着に見えたが、ネックウォーマーを鼻先で引き上げ、温かそうな手袋が膝に置いてあった。

(このヒト、ちょっと師匠に似てる……)
だが、決定的に違うと知らしめたのは、香りだった。
シナモンだ。
彼は、秋が毛嫌いしていたシナモンの香りを漂わせている。どうやら、手にしたリンゴ飴から香ってきているようだ。

「悪いんだけど、この手袋を水に濡らしてきてくれないかな」
「え、濡らしちゃうんですか?」
折角の防寒具が、逆効果になってしまう。雪遊びをして、いつの間にか雪が溶けて染みて濡れた服は、重く、冷たい拘束具に変わるのだ。

「僕だって、そんなつもりなかったよ。ここで待ってろって言うから、退屈で、お菓子を買ってきたのにさ。屋台のお菓子って普通、食べ歩けるものじゃない? 一口齧ったら、この有り様だよ。何もかも嫌になる」
男は随分と悲観的な物言いをする。
見ると、リンゴをコーティングする飴が一部割れて、歯型の付いたリンゴの中から、シロップの様な液体が流れ出していた。

不機嫌そうに顰められた目許。
やはり似ている。
別人だと頭では分かるが、思い出させる気配がある。

秋も今頃、何処かで、こんな風に誰かと話しているだろうか。
リベザルと秋は道を違えた。否、初めから、違う道を歩いていた。誰もがそうだ。
嘗て秋は言った。人の道はどれも全く別々に走っていて、交わる事もあれば、沿って進む事も、離れる事もある。出会いも、別れも、一方向ではなく、一度きりではない。
まるで、不意に行き合って、おーいと手を振るように。

会えるのだろうか。
いつか。
秋は、無事にしているのだろうか。

「ねえ、手袋。濡らしてくれるの? くれないの?」
「あ、あの、俺、濡れてるの、持ってます」
男の気怠そうな声で、リベザルは我に返り、ビニール袋に手を突っ込んだ。福引きで貰った覚えがある。
「使ってください。ウェットティッシュ」
「…………」
「ごめんなさい、手、塞がってるんですよね。今開けます」
「いいよ」

男がぶっきらぼうに言う。
「自分で開けるから、そのままちょうだい」
「はい! どうぞ」
リベザルが両腕を前に伸ばすと、男は空いた方の手でそれを受け取り、蓋のシールを前歯で噛んで、器用に開ける。彼は続いてウェットティッシュを一枚取り出すと、右手に垂れたシロップを舌で舐め取り、その跡をウェットティッシュで拭って、リンゴ飴を袋に戻し、漸く両手を自由にした。

「ありがと」
「いいえ」
リベザルが左右に首を振ると、男が、じっと彼を凝視する。
何だろう。光の加減か、琥珀色に光る双眸が、リベザルを見据えて放さない。
怖い。逃げたい。もう帰りたい。

「あの、それじゃ、俺、えっと、行きます、ので」
「待って」
蟹歩きでじりじりと距離を取るリベザルを、男が呼び止める。泣きたい。
男はベンチから立ち上がると、こちらに手を差し向けた。
「返す。あと、あげる」

「! 白い豆腐」
言い間違えた。
「白い火に白い豆腐だ!」
ウェットティッシュに重ねられた、白い火豆腐のプレートに、リベザルは目を輝かせた。白に白。忍者の隠れ身の術の様だ。
男はリベザルのマフラーの端を手に取り、二つの火豆腐に並べて、白火豆腐を付けた。

「ありがとうございます!」
「こちらこそ」
男は聞かせる気がないかのように、小さな声でぼそぼそと言うと、リベザルより先に背を返してその場を立ち去った。


* * *

今日は、奇妙な日だ。
色々な人がリベザルに火豆腐をくれる。

白い火の中の豆腐には、数字ではなく『proximus』と何処かの国の言葉が書かれていた。
「英語の辞書に載ってるかな」
リベザルが家に着く頃には、日も暮れて、それでも通りはまだ明るかったが、森の中に一歩入ってしまうと、夜の領域に沈みかけている。
リベザルは壊れた門柱を潜り、懐から鍵を取り出そうとした。

家の前に、誰かいる。
「北西さん……」

違う。それは、彼の偽名だ。本当の名前は、

「風冬さん?」
「おかえり」

思いも寄らなかった。深山木薬店改を訪れる可能性がある客の中で、秋に次いで可能性の低い、ほぼない、ゼロに近い相手だと思っていた。座木がいた方が、リベザルはまだ驚かない。
「ここで、待っていたんですか?」
「少しの間ね」
「師匠ならいません」
「知っている」

リベザルの動揺が収まらない。彼が話すほど、疑問が渦を複雑にする。
「えっと、今、鍵を開けるので」
「ここで良い」
風冬は一言で確実に拒否して、リベザルに向かい合った。

木々の隙間に辛うじて残っていた陽光が、弱まって、消えていく。森の内側から広がる闇に押し出されて飲み込まれていくかのようだ。
大気が、夜に堕ちる。

「日本にいる理由がなくなった。貴方もそうでは?」
「お、俺は……」
長身の風冬の氷の様に峻厳な態度に気圧されて、リベザルは先を続けられず口籠った。

秋を追わないと決めた。
一人で店を守るのだと心に誓った。
いつか道が交われば、再び会う日もあるだろう。
仮令会えなくとも、何処かに存在していてくれるなら、リベザルは彼の幸せを心から願う事が出来る。

仮令会えなくとも、何処かに存在していてくれるなら。
何処かに、存在して――

「心配か?」
「……っ」
見透かされた。
風冬は、リベザルより、座木より、ずっと昔から秋といた人だ。きっと、リベザルの頭の中など手に取るように分かるのだろう。

「会えないかもしれない」
不安が、言葉を象って、零れ落ちる。
「二度と」

何処かに
存在 して
生きて
いない
最早 の かも


思考が切れて、頭が真っ白になった。

パチン!

指が鳴る音がする。
顔を上げると、風冬が指を弾いたのだと分かる。
彼は嘆息をすると、傷痕のある目許を隠すように伏せて、リベザルに黄色い何かを差し出した。

「何……ですか?」
「…………」
リベザルが尋ねても、風冬はすぐには答えてくれない。
逡巡が、彼の厳しい面差しから、温厚さを滲ませた気がした。

「シン」
「それって」
「おそらく、貴方が知りたいことだ」

リベザルは他人の身体を動かしているような感覚で、腕を上げ、風冬の手から黄色い何かを受け取った。
ビニール製の蝶々のプレートだ。
中心に白い長方形が嵌められていて、文字が書いてある。

『1−⌒』

顔文字だろうか。それがどんな感情を示すのか、リベザルには読み取れない。
「あの、これ」
リベザルが見上げると、そこには既に風冬の姿はなく、木々に塞がれた空の隙間に、細い月が上っていた。


* * *

翌日、壊れた温室で放心するリベザルを見付けたのは柚之助だった。
リベザルは風冬に貰った蝶々のプレートを、欠けた煉瓦の上に載せた。

「これが、俺の知りたい事だって」
「そうなの?」
「分かんない」
リベザル自身、何を知りたいのかが分かっていないのに、答えを導き出せるとは思えなかった。

「それに似てるね」
柚之助が、リベザルのマフラーを指差す。三つ並ぶ火豆腐だ。
「昨日、貰ったんだ。別の人達にだけど」
「全部?」
「うん」
「別々の人から?」
「? そうだよ」
何故、柚之助がそんな事を聞くのか分からなくて、リベザルは彼の黒目を覗き込んだ。柚之助は真剣な眼差しで、風冬の蝶々と三つの火豆腐を見比べている。

「不自然じゃない? 同じ日に、全然別の人が、似たような物をくれるなんて」
「え、そうかな。偶々だよ? 何となく通った道で困ってる人がいて。その前は、思い付きで行った公園で女の人が転んで」
「その前は?」
「福引きをしたら、店員さんが券を数え間違って。あ、間違っていなかったんだけど」
「福引きに行ったの?」
「うん。ポストにチラシと福引券が……」

柚之助の疑問に答えて一日を遡る。
始まりに、行き着いて、新たな疑問が生まれた。
「福引券って、普通はお買い物すると貰えるんだよね? チラシのおまけだと思ってたけど」
店側のサービスならば、補助券ではなく、一枚で引ける福引券だけを入れるのではないだろうか。

「ちょっと、全部見てみよう」
「う、うん」
柚之助に言われて、リベザルはマフラーから火豆腐を外し、煉瓦に並べた。

「あ、ポケットになってる」
リベザルは安全ピンの針先をホルダーに戻そうとして、裏面に切り込みがある事に気が付いた。
指を噛ませてみると、指先が紙に触れる。指の腹を使って中身を引き出すと、豆腐の正体は紙の札だと分かった。炎の真ん中に穴が空いていて、中に入れた紙が外から見えていたらしい。
「リベザル。裏面にも文字が書いてあるよ」
「え」
本当だ。

赤に書かれた文字は『canem』と『4』
黄に書かれた文字は『sapiens』と『1/7』
白に書かれた文字は『proximus』と『45』

最後に、蝶々には『fidelem』と『1−⌒』

「何だろう……」
「もしかして、入れ物にも意味があるんじゃない?」
「豆腐に?」
リベザルは聞き返した。
柚之助が急に、眉を持ち上げて目を丸くする。

「豆腐?」
「あ、火の上の豆腐」
リベザルが答えた、三秒後、弾かれるように柚之助が笑い出した。

「火の上の豆腐! ハハ、見える。うん、見えるね」
「え、違うの? インターネットでいろんな人が言ってるって、前に師匠が」
「ハハハ、多分、そう見えるって話題になったんじゃないかな」
柚之助がまだ笑いを引きずって、目尻を押さえる。

「これはチューリップ。中の紙に名前を書いて、名札にするんだよ」
「チューリップ!」

言われてみれば、成程、半円にトゲを三本立てた形は、チューリップそのものではないが、チューリップをこういった図形で描く子供の絵を見た事がある。

「白は初めて見た。人間が着けてるのだと、ピンクとか、青をよく見かけるけど」
「あ、歌にもあるもんね。あーかしーろきーいーろーって」
「赤白黄色……」
柚之助の笑みが遮断される。
リベザルは自覚なく発してしまった言葉に、思わず両手で口を覆った。

「歌に合わせてるって事? でも、ちょうちょは、菜の花と桜の花だよ」
「待って、リベザル。チューリップには、あんまり知られてないけど、続きがあった筈」
柚之助が名札と紙を赤白黄色の順に並べて、歌の続きをうたう。
二番には色も蝶々も出てこない。しかし、三番、

「風に揺れるチューリップの花に
飛ぶよ飛ぶよ蝶々が飛ぶよ
蝶々と花と遊んでる」
「いたーーー!」
リベザルが声を上げると、柚之助も驚いて見開いた目を輝かせて、リベザルと声にならない呼吸を交わした。

「赤白黄色蝶々の順で、数字は何だろう。バラバラだけど」
「この、言葉から文字を拾うのはどう? 4、45が四番目と五番目だとして、1/7は……何だろ?」
やはり違うだろうか。リベザルは考えを訂正しようとしたが、柚之助が手を打つ。
「sapiensは、一番目と七番目が同じだ」

赤は『e』
黄は『s』
白は『xi』

「1−⌒は……」
「一番目なら f だけど」
「引き算をしたらなくなって――」
言いかけて、リベザルはハッとなった。
「なくなっていいんだ」

リベザルは棒を拾い、地面にfの字を書いた。それから靴底で上の方を踏んで、⌒を引く。
「t」
「じゃあ、歌の順に並べると」
柚之助がリベザルから棒を受け取り、tの前に赤白黄色の四文字を並べる。

『exist』

「非常口?」
「ちょっと違わない?」
リベザルは、柚之助と首を傾げ合って、温室から飛び出した。
応接室の本棚には、前の住人が置いていった本が詰め込まれて、壁一面を埋めている。二人は英語の辞書を探し出し、逸る気持ちに何度か手を滑らせながら、件の項目に到達した。

「『存在する』、『実在する』」
意味を読み上げる。
風冬は言った。これが、リベザルの知りたい事だと。
知りたい。
会えなくても良い。知りたい。
リベザルの視線が最後の行を捉える。

「『生きている』」

視界が歪んで、文字が読めなくなった。



窓から差し込む日差しの角度が、いつの間にか変わっていた。
拭う傍から溢れる涙が、ようやっと収まって、浅く苦しかった呼吸が深く吸えるようになる。
リベザルが肩越しに後ろを見ると、背中合わせに座っていた柚之助が、振り返って笑った。
「柚之助。ありがとう」
「クイズ楽しかったね」
柚之助が辞書を閉じて、立ち上がり、本棚に戻す。

「うん。でも、どうしてわざわざクイズにしたんだろう?」
「回り諄いよね。最後を『 t 』の入った単語にしなかったのも変。それに、答えが英語なら、ヒントの単語も英語にした方が間違いがないと思うんだけど、名札の四つは英語じゃなかった」
クイズは解けたが、謎が残る。
黙り込んでしまったリベザルの耳に、軽やかな衣擦れが聞こえた。

「リベザル」
「!」
柚之助が飛び跳ねるようにして、リベザルの前にしゃがむ。
「人間を揶揄いに行こう」
明るい声で、満面に笑みを広げる。

大丈夫。
いつか道はすれ違う。秋とも、彼らとも。

「うん」
リベザルは膝を伸ばし、火豆腐と蝶々を重ねてポケットにしまった。



* * *

「回り諄いわぁ」
呆れ返った声とマニキュアの匂いが風冬の額を突いた。
「春日……求めなければ得られない情報でなければならない。説明したよ?」
「ふふ、そういう事にしておいてあげる」
春日がにこりと微笑んで、桜色の指先に細く息を吹きかける。彼女は敏い。風冬が、自分でも目を逸らしたい感情を見抜いて、黙っているところがまた厄介だ。

「俺は面白かったぞ、風冬! バイト代も貰えたし、おばちゃん達が昼飯に饅頭とかチョコレートとかいっぱいくれた」
「夏林は良いよね……僕なんか、寒風吹き荒ぶ中、寒空の下で、二時間だよ、二時間」
彼は屋内に帰って来たというのに、パーカーのフードをかぶったまま、ダルマストーブに寄り添ってぼそぼそと不満を零す。

「しょーがねえじゃん。山秋はお客様いらっしゃいませー出来ないだろ」
「出来る」
「笑顔で」
「拷問か」
ギロリと睨んだ山秋に、夏林が大笑いをして足を蹴られた。

「痛ってー……でもさ、俺もちょっと思うよ、山秋。あのちびっ子には難し過ぎるんじゃない?」
「何語かも解らないだろうな」
先ほどまで文句を言い合っていた夏林と山秋が、声を揃えて疑念を示す。

暗号に使った言葉。
sapiens―賢い、proximus―隣人、fidelem―忠実な、canem―犬。

「最後のパーツは、自分で導き出さなければ意味がない。シンの傍にいた者なら、文字には知らずとも、一度は耳にしている筈だよ。――あれだけ、長く共にいたのだから」
「ああ、何だ。風冬。お前、ヤキモチの意地悪か」
「!」

「こら、夏林。シーッ」
「世の中には、真実だからこそ相手を抉る悲劇もあるんだぞ」
春日と山秋が夏林を諌めたが、こちらも長い付き合いだから分かる。
間違いなく、風冬を揶揄って楽しんでいる。
「そっか、ごめんなー。風冬」
夏林の邪気のない謝罪が、風冬にトドメを刺した。
良いのだ。どんな形であろうと、風冬は義理を果たした。振り返るまい。

「ところで。素敵なものを貰ったの。見て見て、四名様一泊二日温泉旅行〜」
春日が熨斗の掛かった封筒を掲げる。
「あれ、ちびっ子が当てたやつじゃん」
「脅し取ったの? 春日」
山秋はいつも、無意味に人を怒らせる。そして決まって、春日に肩パンチを食らうのだ。

「良いのかなあ」
夏林が申し訳なさそうにする。
「くれるって言うなら良いんじゃない? 元はと言えば、福引券を集めたのは僕らだ」
「んー、それもそう? か?」
丸め込む山秋と、丸め込まれそうになる夏林を横目に、春日が封筒を風冬に差し出した。

「行きましょう。この国を離れる前に」
日本に来た時は、恨みが生き抜く糧だった。
今度は、憎しみを供とする旅ではない。
「そうだね」
風冬が笑みを零すと、三人の妹弟が子供みたいにはしゃいで、懐かしい日々を思い出させた。


(了)
 
| 未発表短編>薬屋 | 17:16 | - | - |