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[執事]花頴と衣更月
*独立した短編です。未読の方もお試しにどうぞです
  


全くの予定外だった。

いずれ家を継いだ時に、執事を雇うであろう事は間違いなかった。
父に仕えていた執事、鳳は、花穎の事もよく看てくれており、幼い花穎は何の疑問もなく、いつか大人になったら、家と共に執事も受け継ぐのだと思っていた。

「花穎様。御主人様」
(そう、そんな風に呼んで――)
「花穎様」
抑えた声音が、数度目にして微かに語調を強める。それでもまだ、普通に話すトーンより密やかだったが、花穎を眠りから引き戻すには充分だ。
花穎が頭を擡げると、テーブルの傍らに立つ、スーツの足が見えた。

曇りひとつなく磨かれた黒い革靴、プレスの利いたスーツは一様に地味な濃香色を保ち、藍鐵色のネクタイと調和して、花穎の目を苦しめない。
まだ眠い、億劫な眼差しを持ち上げると、ミルクティー色の髪の下で、涼やかな瞳が目礼をした。

「花穎様。そのような所でお休みになられては、お風邪を召されます」
鳳ではない。
彼が、花穎に仕える執事、衣更月である。

テーブルの上にはスモークサーモンとキュウリのサンドイッチが、食べかけの状態でラップを掛けられている。紅茶だけは淹れられたばかりらしく、白い湯気を立てている。
どうやら花穎は、昼食の途中で食べながら眠ってしまっていたらしい。昨夜遅くまで本を読んでいた為だろう。

花穎は寝起きの不機嫌も手伝って、ぶっきらぼうに言い返した。
「僕の家だ。昼寝くらい、好きな場所で好きにして良いだろう?」
「お身体に障ります」
衣更月は、花穎以上に素っ気なく答える。
この冷ややかな態度。とても、執事が主人に対して取るそれとは思えない。これで仕事には非の打ち所がないから、花穎は手を拱く事しか出来なかった。

衣更月が床に落ちたシルバースプーンを拾い、新しいものに替えてテーブルに置く。
「せめてソファで横になられて下さい。すぐに毛布をお持ち致します」
淡々と。花穎に怒るでも呆れるでもなく、正しい行動をなぞる事だけが自身の職務であるかのように、衣更月は執事業を行う。
彼は正しい。彼の仕事は完璧だ。

花穎とちがって。

「構うな」
花穎は掻っ攫うようにスプーンを取り上げると、左側に置き直して、衣更月を睨め上げた。
衣更月は冷静な表情を微動だにさせず、行きかけた爪先を速やかに花穎の方へ戻す。
「僕は、今、ここで昼寝がしたいんだ。僕が自発的に起きるまで、一切、僕に構うな」
声を荒らげる事だけは既のところで堪えた花穎に、衣更月は恭しくお辞儀をして、
「承知致しました」
花穎を残し、ティールームから退室した。
花穎はテーブルに向き直り、両腕を枕にして突っ伏した。


幼い頃から、いつか鳳が、花穎の執事になるのだと信じていた。

鳳は常に優しく、時に厳しく、花穎の面倒を見た。が、根本的には父親の執事だ。勉強を教わっている時も、おやつの時間も、一緒に留守番をしている時でも、父親が鳳を呼ぶと、彼は必ず父の方へ行ってしまう。
『花穎様、少しの間、失礼致します』
鳳はそう言って微笑み、席を外す。

花穎は鳳に傍にいて欲しくて、鉛筆が折れたとか、お茶が足りないとか、何か彼に頼る用事を考えたが、有能な鳳は一人になる花穎が何の不自由もしないように、万全の用意を整えていた。
だからと言って、わざと問題を起こして、鳳を困らせるのも嫌だった。花穎は、鳳に怒られるより、褒められたかったからだ。
花穎は、自分が鳳の主人になる日を思って、微かな寂しさを胸中に押し留めた。

叶わぬ願いだったというのか。
鳳を傍に控えさせ、彼の補佐を受けながら、時に花穎の方がさりげなく気遣って、鳳を喜ばせかった。立派な主人になったと、褒めてもらいたかった。


微睡みは陽だまりの様に暖かくて、幸せの錯覚がする。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。花穎が目を覚ますと、部屋が薄暗く、窓の外から差し込む夕陽が、白い壁紙を丹色に染めている。
「ん?」
花穎は肩に重みを感じて、手を遣った。

ジャケットだ。
ライダースジャケットに似た形をしているが、スタンドカラーが二重になっている。陽光で赤みがかった元の生地は緑系だろうか。カーキか、他の色を織り交ぜたグレーかもしれない。
衣更月以外の男性使用人といえば三人思い当たるが、内二人は屋敷の外の勤務だ。では、残る一人か。

「失礼致します」
廊下の扉が開いて、部屋に灯りが点される。
花穎の目が覚めるまで、という言い付けに従ったのだろう。責務にだけは忠実な衣更月は、手際よく紅茶を淹れると、心なしか湯気の薄い紅茶を花穎の前に用意した。
飲んでみて、すぐに理由は分かる。
微温い紅茶が、寝起きで渇いた花穎の喉を、柔らかに潤して温めた。

花穎が二杯目を要求すると前に、今度は真っ白な湯気が、紅茶と共にカップに注がれる。
「花穎様」
「ん」
「こちらの上着、よろしければ、私の方から持ち主にお返し致しますが」
衣更月は持ち主を知っているらしい。使用人を取り纏めるのは執事の仕事だ。彼らの私物にも、花穎より数段、詳しいだろう。

「頼む」
「畏まりました」
衣更月はジャケットを受け取ると、埃を立てぬよう軽く丸めてワゴンの下にしまう。
「夕食の準備が整いましたら、お声を掛けに参ります」
「――待て」

ドアノブに手を掛けた衣更月を、つい呼び止めてしまってから、花穎は内心慌てて思考を巡らせた。ふんわりと感じた違和感が、先に声に出てしまったのだ。

仮に、使用人が花穎が眠っているのを見付けたとしたら、上着を掛けようとするだろうか。彼らならばまず真っ先に、衣更月に報告する。衣更月がそれを聞いたら、花穎の言い付けを守って、何もしないよう指導するだろう。
もし、衣更月に報告せず、彼らの一存で掛けるとしても、自分の上着は掛けまい。予備の毛布なり、従者ならば花穎のクロゼットに出入りを許されているから、ガウンでもカーディガンでも持って来れば良い。

では何故、花穎の肩に掛けられていたのは、誰かの私物のジャケットなのか。

「……!」
花穎は目を瞠り、衣更月に改めて焦点を合わせた。
「お前――」
「はい」
衣更月が無愛想に花穎の言葉を待つ。
花穎は口を開きかけ、考えて、唇の形を変えた。

「夕飯の前に一口、甘い物が食べたい」
「キャラメルヌガーでは如何でしょうか?」
「それでいい」
「すぐに御用意致します」
衣更月が一礼を置いて、扉から出て行く。
花穎は息を吐いて、椅子の背もたれに寄りかかった。

彼だ。
毛布や花穎の服を掛けたのでは、まず衣更月が疑われると考えて、花穎に見覚えがない私物を使い、別の使用人の仕業を装ったのだ。
持ち主に返しておくと言えば、花穎に他の誰を想像するよう仕向ける事は出来る。しかし、最後の最後で、衣更月は気を利かせ過ぎた。

返却の提案を、自分から言いだしてしまった事だ。
肩の上着を見て、花穎自身が掛けたのではないと分かるのは、掛けた本人だけである。

「小細工を……」
花穎は自らの肩に触れて独りごちた。
微睡みの中は、暖かかった。

淹れたての熱い紅茶が胃の腑に染みる。
「お待たせ致しました」
衣更月がティールームに戻り、金の縁取りの皿に盛ったキャラメルヌガーを差し出す。

使用人の嘘に、時に目を瞑ってやるのも主人だ。
「衣更月」
「はい」
花穎はキャラメルヌガーをひとつ手に取り、正方形に切り出された断面を見るともなしに眺めるフリをした。
「昼寝中は構うなと言ったが、タオルケットくらいは掛けても良いぞ」
彼は、幼い花穎が望んだ執事ではないが――
花穎が譲歩を伝えると、衣更月は彼が見抜いた事に気付いただろうか、相変わらずの素知らぬ顔で、
「承知致しました」
と、丁寧にお辞儀をした。


(了)
 
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