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久彼山博物館

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[薬屋]薬屋さんと
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「名前? そうだなあ……用がある時は『秋』と呼べば良いよ」

彼は大きな口でプチシをかじって、唇の端に付いた粉砂糖を舌先で器用に舐め取った。
「この前、聞いた名前と違う!」
抗議した彼に『秋』は悪びれもせず、
「変えたからね」
自分の名前だというのに、頓着も執着もない。

低く立ち籠めた分厚い雲は、人々を地上に閉じ込めているかのようで、道行く人は皆、コートの前を合わせて俯き、足早に通り過ぎていく。
しかし、秋は一人だけ世界の干渉を受けないみたいに、 街にいても、森にいても、雨の中を歩いている時でも変わらない。

「これ甘いな。お茶請けに塩漬け食べたい。お菓子のお伴だから菓子受け?」
そう言いながら、秋はしっかり完食して、ベンチから立ち上がった。
「何処行くんだ?」
「んー、どうしようかな。日本はどうかな。塩漬け、浅漬け、一夜漬け。いいな、そうしよう」
「ヤポンニャ? 何をする場所?」
慌ててベンチを飛び降りて、後を追った彼を待つ素振りすら見せず、秋は前を向いたまま答えた。

「国だよ。大陸の東の終わり。陸路か海路か、あちこち経由して、二週間もあれば着く。あ、移動時間だけの話だけど」
「移動だけで、二週間……」
では、彼の言う「あちこち」で滞在したら、何ヵ月かかるのだろう。
そんな途方もない目的地を、秋は菓子を食べたついでのように決めてしまう。

秋は自由で、何物にも縛られない。
まるで、見えない街灯に、行くべき道を照らされているかのようだ。

彼には見えない。光も、道も。

「迷わないのか?」
倍以上ある歩幅に駆け足で追い付いて、やけに綺麗な横顔を見上げる。
「迷うの?」
秋の答えを予想していた訳ではなかったが、聞き返される事は想定していなかった。
「と、当然だろ」
「よかったね」
「!?」

秋は本当に自分と会話をしているだろうか、自信が持てなくなってきた。戸惑う彼に、秋は漸くこちらを向いて、不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。
「迷うのは、道がひとつじゃないからだ。君が自由な証拠だよ」
「自由……」
彼は茫然として、石畳の淵を半分踏んだところで立ち尽くした。

秋が羨ましかった。
どうしたら、彼の様に自信を持てるのか。決断し、断言できるのか。
自由に振る舞える彼に、感嘆すると同時に、嫉妬すら覚えていた。

迷って、分からなくて、どうにも出来なくて。
ひどく不自由な生き物に思えていた彼を、秋は自由だと言う。
「俺が……?」

秋との距離が開く。彼との間を、背を丸めて歩く通行人が遮ってしまう。
  人々の間を縫って走る。時折、肩がぶつかったが、恐怖は感じなかった。全ての神経を、感情を、秋に吸い取られてしまっているからだ。
「ナウチチェル」
彼が飛び付くように秋の袖を掴むと、秋は折角の整った顔を不機嫌に歪めた。

「先生って……やめてよ、面倒くさい。僕、君に何を教えるつもりもないから」
「俺は、あなたから、色々教えてもらいたい、です。……というか」
彼は言いながら、言葉と気持ちに微かなズレを感じて、乏しい語彙を何度も何度もかき回し、心の形に近付けようと試みた。
「あなたといたら、どんな事にも答えはあるって、諦めないでいられる気がします。だから」
心の先に溢れ出る願いは、間違えようがない。
「一緒に行っても良いですか?」

「答え、ね。そんなもの、どんな事にも存在しないと思うけどな」
秋は呆れた風に嘆息して、僅かな力で簡単に彼の手を振り解いた。
「名前で呼んで良いよ」
「でも、すぐ変わるから」
そこにも、何か答えがあるのだろうか。何もないのだろうか。
「厄介だなあ」
秋は隠し立てせず文句を言って遠くを眺め、手持ち無沙汰とばかりに両手を袖の中に引っ込める。

「じゃあ、最初の課題。日本に着くまでに、僕の呼び名を決める事」
「え! 何でも良いんですか?」
「僕が気に入らなかったら拳に訴える」
満面の笑みで言う科白ではない。

「わ、分かりました。日本で呼べる名前……探します」
日本という国は何語を話すのだろうか。ポーランド語ではなさそうだが、大陸を越えるとなると想像の足掛かりもない。
「彼奴、何処まで行ったんだ? どうせお姉様方に捕まってるんだろうけど、置いて行くと怒るんだよなあ」
「もう一人の、黒いヒト、ですよね」
「名は座木。あ、そうだ。ところで、君、誰だっけ?」

何度目になるやり取りだろう。彼は事ある度に違う名を名乗るし、何回答えても彼を覚えない。
最初の課題は秋の呼び名を考える事。
最初の目標は、秋に自分を覚えてもらう事だ。
彼は地面を蹴って秋より前に駆け出して、顔を上げ、振り返り様に濃茶色の瞳を捉えた。

「俺は、リベザルです!」


(了)
 
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