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[薬屋]蛙と狐と悪魔の話
本文→
  


悪魔は、人間と契約する。
人間以外とは契約しない。
悪魔が契約する、唯一の人間以外の相手、それが使い魔だ。

世界は広い。この限りではない悪魔はいるかもしれない、いないかもしれない。だが少なくとも、カルナクリアの主人はこのルールに則って仕事を行った。

桜庭零一。
主人の現在の名前だ。
カルナクリアは彼の本当の名前を知らない。本当の姿も知らない。
眉の上で揺れる髪は黒く、肌も心なしか浅黒い。切れ長の瞳は黒灰色をして、悪魔を出し抜こうとする愚かな人間の軽挙を見逃さなかったが、今は薄青と紫の菱形を無数に映して、白い歯の間から感嘆するような吐息を漏らした。

「花の萼を観賞すると聞いた時は気でも触れたかと思ったが、これは見事だ。見事に……青い」
零一は紫陽花の賛美しようとして、気の利いた表現が思い付かなかったらしい。芸術的センスは見込めないが、生真面目な主人である。
カルナクリアは霧雨に全身を潜らせて、紫陽花の葉の上で前足をぎゅうと伸ばした。
「身体がしっとりとして、とても気持ちが良いです」
葉が傾いて、集まった水滴が、鋸の様な葉の淵から雫を落とす。

零一は口を開こうとして、声になる寸前で唇を結んだ。
ビニール傘越しに彼が窺う背後を、ランドセルを背負った少女と、桜色の傘を差した女性が通りたからだ。二人は一瞬だけ零一の方を見たが、気に留める風もなく、素通りする。
「ママ、今、葉っぱの上に蛙さんがいたよ」
少女が嬉しそうに報告する声が十分に遠のいてから、カルナクリアは紫陽花の丸い青色の上へ飛び移った。

カルナクリアは蛙だ。厳密には動物図鑑に載る類いの蛙ではないが、見た目は完全に蛙である。
人間に見える零一が、蛙に見える彼と会話を交わしていたら、周囲から奇異な視線を向けられてしまうだろう。

悪魔は人間の機微を読み取らなければならない。
その点、零一は自分が置かれた状況、相手に自分がどう見えているか、どう動けば奇異に見られ、どう振る舞えば場をコントロール出来るかを判断する能力に長けていた。
人間風に言うならば、空気が読める男だ。
読めるが故に、貧乏くじを引かされる事もあるが、それに関しては律儀な性格が災いしているとしか言い様がない。時々、生粋の日本人より余程、日本人らしいのがカルナクリアの主人だ。

「マスター」
「何だ」
零一がぶっきらぼうに答える。カルナクリアはすっかり濡れてしまったシルクハットを脱いで、中から新しいシルクハットを取り出し、濡れた方を新しいシルクハットの中に押し込んだ。
「マスターはフィンランドの御出身でいらっしゃる」
「そうだ」
「何故、日本に? 帰らないので?」
「金がない」

何たる端的な答えだろうか。
侘しくなってきた。
カルナクリアはシルクハットをちょんと頭に載せて、唾を僅かに傾けた。

「マスター。わたくしにフィンランドの言葉を教えて頂けないでしょうか?」
「何故だ?」
零一は、本当に理解出来ないという顔だ。拒絶を示す為の反問ではない事は一目で分かる。
「仰りたい事は分かります。わたくしは浸食系悪魔。伝えるのは『意味』、言葉の壁はございません。しかしながら、わたくしも不便さを楽しんでみたい時もあるのです」

零一は敏い。カルナクリアの嘘など、吐いた瞬間に見抜いているだろう。
カルナクリアが球体を剥き出しにした眼を動かして、零一を忍び見ていると、彼は嘆息を挟んで、無愛想な表情を和らげた。

「モイ、だ」
「モイ」
カルナクリアは復唱して、首を傾げた。ひどく短い言葉に聞こえる。
「意味を伺っても?」
「挨拶だ。人に会った時は、モイ。別れる時は、モイモイ」
「それならば、わたくしにも使いこなせそうです。マスター、お相手願えますか?」
乞うたカルナクリアに、零一が頷いて返す。
カルナクリアは張り切って、シルクハットを取った。

「モイ」
「モイ」
「モイモイ」
「モイモイ」
「出来ました!」

カルナクリアは、異なる言葉を使い、意志の疎通に失敗する人間達を不合理に思っていたが、定められた会話を成立させる事は、秘密の暗号を彷彿とさせる。
「もう一度! もう一度お願い致します。次はわたくし、紫陽花の間から出て参りますので」
「分かった」
零一の表情がまた少し弛む。
「参ります」
カルナクリアはフィンランドの街角の紳士を気取って、紫陽花の葉の間から零一の前に躍り出た。

「モイ」
シルクハットを傾けて一言。
「モイ」
零一が右手を小さく掲げて挨拶を返す。
「モイモイ」
カルナクリアは身を翻し、颯爽と紫色の紫陽花の下を潜った。

  それが、早過ぎた。

「モイモイ」
零一が微かな笑み混じりで手を振り、カルナクリアを見送った、まさにその時、別の紫陽花の後ろから着物の少年が姿を現した。
「あ……」
「…………」
沈黙が重苦しい。
空気が凍り付く。
「……えっと、こんにちは。桜庭さん」
「ああ」
「ボク、リベザルに、というか座木さんにお弁当をたくさん貰ったから、こないだのお礼に、お裾分けに来たんだけど」

零一は敏い。
カルナクリアが人前に姿を見せたがらない以上、人目には紫陽花に話しかける謎の男に見えている事は気付いているだろうし、フィンランドの挨拶が日本では非常に愛らしい響きに聞こえる事も、重々理解しているだろう。

「……、……もい?」
「!!」
「あ、あ、いいんです。どうぞ、ごゆっくり。これ、はい。それじゃ」
着物の少年はビニール袋のひとつを零一の傘の持ち手に掛けると、零一と視線を合わせないよう伏目で顔を背けて、そそくさと走り去った。

しとしとと雨が降る。
傘の骨の先から水滴が落ちて、足元の小石に撥ねる。
芸術的センスがなく、生真面目で、空気が読めて、律儀で、そして、間が悪い。
「マスター、今日は御馳走ですね?」
カルナクリアが少しばかり責任を感じて、窺うように話しかけると、零一は手の甲にカルナクリアを拾い上げる。
「キートス」

フィンランド語で誤魔化しても、意味を受け取ろうとすればカルナクリアには伝わってしまう。
これだから、零一は貧乏くじを引かされるのだ。
「何の事やら」
薄情なカルナクリアは主人の礼をはぐらかして、彼の袖口に潜り込んだ。


(了)
 
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