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久彼山博物館

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[薬屋]花屋と
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人違い、という凡ミスは誰にでも起こり得る。

よく似ている場合は不可抗力。
骨格が似ていれば声は必然的に同一音域になるし、骨の太さが違えど身長と肉付きの具合で背格好は近似範囲内に属する。
況して、声を発せず、姿が見えなければ、状況から判断するしかない。

「臙李」
剴の声音は神妙な響きを纏って、慎重に単語を選んでいるのが、僅かに乱れた呼吸から伝わる。
自分が臙李でない以上、この場を立ち去らねばならない。
柱の陰から、花と桶による死角を通って、外に出れば良い。幸い、剴は出入り口に背を向けている。

今しかない。
半身、態勢を変えた瞬間、

チリン。

鈴が鳴った。

「臙李」

しまった。
剴が仮に鈴の音を聞き分けられる精密な聴覚を持っていたとしても、臙李だと判断しただろう。今、ポケットの中で鳴ったのは、まさに、臙李が普段、手首の時計につけている鈴そのものである。
剴が今にも無遠慮な大股で距離を詰め、事実を知り、声を荒らげると思ったら、自身に落ち度はなくとも胃の竦む思いがした。

ところが、剴はそうしなかった。

「臙李……済まない」

思わず息を飲む。
剴のそんな言葉を聞いたのは初めてだった。

「お前が話せないのは分かっている。強制するつもりもない」

首筋を冷や汗が流れる。
完全に機を逸してしまった。やり過ごせると思ったのが甘かった。

「だが、間違いを犯したと自覚しているのに、何も言われず、責められず、どう思っているかも分からないのは……不安なんだ。このおれが、認めたくないが――」

もう無理だ。

「お話中、失礼致します」
「!? お前……!」

柱の陰から姿を現した彼に、剴が絵に描いたような驚愕を顔全面に張り付けた。

「ストレリッチア!」
「座木です」
「そこで何をしている!」
「秋の遣いで、買い物を少々」

他に答えようもなく、正直に打ち明けた座木に、剴が眉間の皺を深くする。左右の眉はそれほどまでに近付けられるのかと、内心、座木が驚くほどだ。

「忘れろ。即忘れろ。今すぐ全記憶を消滅させろ」
「お引き受け致しかねます」
「大体、なぜお前が臙李の鈴を!」
「お返しします。店に落ちていました」

座木が差し出すと、剴が岩のように厳つい手の平に小さな鈴を載せて、眉間の皺を拗らせる。

「…………」
「……臙李さんと喧嘩でも?」
「五月蝿い」
「そうでしょうとも」

第一に、剴という男は、座木の話をまともに聞く気がないのだ。出会った時に座木はまだ幼生で、年齢差は一生縮まらないから、対等になり得ないと思っているに違いない。
いつも高圧的で、当然のように上から物を言い、踏ん反り返っているのが座木にとっての剴だから、俯かれると調子が狂う。

「…………」
「……帰っていらっしゃいますよ」
「何?」
剴が伏せた目元をの翳りから、ギラリと眼光を鋭くする。

「見たところ、鈴は鎖が捻れて外れただけのようですし」
「引き千切った跡かもしれないだろう」
「ここに来る途中、近くのスーパーで牛乳を買う臙李さんを見かけました。プラスチック製の四リットルボトルでしたから、持っていずれかへ行かれる事はないと思われます」
「牛乳……」
「臙李さんの御種族に不可欠な飲料ですね。喧嘩の原因ですか?」
ならば、剴は既に、代わりを買って謝るという道は選択できない訳だ。

「それだけじゃない」
剴が苦々しげに吐き捨てて、作業台に鈴を転がす。
リン、と切なげに鈴が鳴いた。
「何が……あったのですか?」
「間違えた」
「え?」

「漂白剤のボトルと間違えて、樹液が付いた臙李のシャツを浸け込んだ」
座木の頭の中の方が真っ白になった。
「それは、さぞ前衛的な香りになったでしょう……」
「あれが芸術なら、アポロンには鼻がないんだろうよ」

つまり、察するに、臙李のエネルギ源を奪い、服を台無しにして、それでも剴を責めない彼に、剴は罪悪感の行き場を持て余しているのだ。

全く、調子が狂う。
剴は傲岸で、傲慢で、尊大で、計算高くて、損得づくで悪口雑言並べ立てるから、座木も手加減なく反発出来るという事を忘れてもらっては困る。
座木は、秋から預かったメモを渡して早々に用事を済ませて帰る事も出来た。
しかし、剴の背中があまりに丸く、身体がひとまわりも小さくなって見える。店内に咲き乱れる花までもが、瑞々しさを損ない、鮮やかさをくすませて、項垂れるかのようだ。

座木は二つ折りのメモを更に半分に折って、先の細い指の内に収めた。
「せんたく、してはいかがですか?」
「選択?」
「洗濯――ラウンドリーです」
「もうやった」
「正しい漂白剤で?」
剴が上目遣いで凄んだが、何も座木は厭味を言いたかった訳ではない。

「情報をお売りします。牛乳の滲みた布から臭いを消す方法です」
どうせ、普通に教えると言っても素直に訊かないのだろう。
「……買ってやらんでもない」
剴が無闇に意地を張る。
座木は幼い子供に対してするように、大らかな笑みで、瑣末の感情を後回しにした。

「牛乳の滲みた布は、湯で煮ると臭いが除去されます。たっぷりのお湯で二十分ほど煮てから、洗濯機で洗い直して下さい」
「煮る……のか」
「はい」
妖としても、植物に関しても、剴を上回る事は難しいが、年齢が足りないからといって、座木が何の知識も特技も身につけていないのとは違う。
一を比べて、十を見下すのは愚かな行為だ。

剴は親指で自身の鼻の頭を弾いて、腹の底から腑に落ちたような声を漏らした。
鋭い双眸には、粗野な態度とは対極の、聡明な光が戻っている。
「やってみよう」
剴が座木の言う事を聞き入れた。対等に取引をした。これは革新的な進歩だ。
大人に認められる事で、子供は外の世界で堂々と戦える力を身につけていくのかもしれない。
「是非」
座木はそれだけ答えて、四つ折りになったメモを開き直した。

「このメモに書かれた品を揃えて頂けますか? 先ほどの情報料は請求額から差し引いて下さい」
「いいや、お前にその権利はない」
「?」
剴の不遜な物言いに、座木は微笑みから一転、顔を顰めた。
「御説明頂いても?」

「お前は店員になりすまし、人違いを正さず、店の情報を盗み取ろうとした」
「それは、貴方が勝手に!」
座木が反論しようとすると、剴はこれ見よがしの笑みを近付けて、鼻で嗤う。
「危なかったな。俺がうっかり店の秘密を喋っていたら、生きて帰れないところだ」
腹立たしい。
対等な取引ではなく、一方的な搾取、詐欺ではないか。理屈と屁理屈で丸め込む秋と異なり、剴の説得は力尽くだ。うんざりする。

「教えなければよかった……」
「残念だったな。交渉は、条件を詰めてから実行に移すものだ、ストレリッチア」
悔しい。
だが、剴の言う通りである。座木が迂闊だった。

剴がにやにやと座木を見下している。彼は傲岸で、傲慢で、尊大で、そう出来るだけの能力と経験を有している。
「ストレリッチアではありません。座木です」
座木は精一杯の意地で言い返して、いつかの再戦を心に誓った。


(了)
 
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