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[薬屋]歌と直也
*『ソラチルサクハナ』までのネタバレを含みます
  


椅子にひどく浅く腰かけている時期があった。

カウンセリングルームのソファは、中学生だった歌にはベッドになるほど大きくて、寄りかかれば柔らかく彼の身体を受け止めてくれるのだろうと容易に想像がついた。
歌の背がソファの背もたれに触れたのは、安藤と出会った後だったような気がする。深く息を吸い込むと、少し余所余所しい合皮の匂いすら懐かしく感じられた。

「うん、次は一年くらいあけてみようか」
主治医の声音が微笑んで、歌は自分が微笑んでいた事に気付いた。
身体を起こすと、靴の踵がすぐ床に付く。今ではこのソファも、歌がベッドにするには些か小さくなった。
「私も歳を取る訳だわ」
「先生は相変わらず冗談がうまいですね」
「ほら、お世辞も言えるようになって」
主治医があっけらかんと笑う。確かに白髪が増え、一回り小さくなったようにも見えたが、無遠慮なくらい明るい笑顔は十年間変わらない。

「あなたは素敵な大人になっていますよ、完璧ではないけれどね。完璧になってしまったと思ったら、いつでもいらっしゃい」
「ありがとうございました」
「いってらっしゃい」
まるで実家の様に、主治医に送り出されて、歌はカウンセリングルームを出た。

十年前、歌が通院を始めた当時は、院内で行き合う患者の間には、互いに何処か人目をはばかるような気配があった。歌に限って言うならば、他人を気にかける余裕はなく、同時に、全ての他人が怖かった。唯一信頼できると頭では思っていた叔母に対してさえ、目が合うとどうしようもなく心が上擦って全身の神経が捩れるような感覚がする事もあった。
近頃はそうでもない。
医師の言うように、歌が大人になったのも理由のひとつだろう。
更に、禁煙の為、ダイエットの為、会社でのストレスを緩和する為と、カウンセリングを生活の一部として自然体で付き合う患者が増えてきた。
何も特別な事もではない。
風邪を引けば病院に行く。
お腹が空けば物を食べる。
無論、互いに干渉はしないが、良い意味で関心を持たなくなった。
パーソナルスペースを侵害しない共存こそ、最も洗練された文化的人間関係である。

ロビーのテレビでアイドル気象予報士が天気予報を伝え終え、歌でも見覚えがある古参のアナウンサーが最新のニュースを読み上げ始めた。

『昨夜未明、行方不明になっていた小学五年生の児童が保護されました。警察への取材では、児童は家出をし、街で知り合った窃盗グループの犯行に関与していた可能性があるとして事情を――』

「最低だ」
「可哀想に」
正反対の感想が隣から聞こえて、歌は思わず声の主を見てしまった。

「あ……」
同じようにこちらを見た男性と目が合う。
歌より幾らか年上だろうか。気の弱そうな眼差しが却って強く印象に残る。彼は黒い前髪の陰に隠れるように首を竦めた。

「すみません。何か、止むに止まれぬ事情があったのかなと思ったら、つい」
俯き加減で、しかも声が小さいから、聞き取れた言葉の断片を頭で繋ぎ合わせるのに時間を要する。
歌は本心はさておき、にこにこといつも通りの笑顔を象った。
「どんな理由があっても、犯罪は悪い事です」
うっかり、声の方に本心が出てしまった。

適当に流せばよかった。所詮、他人だ。
けれど、犯罪などに手を染める人がいなければ、歌は十年も通院せずに済んだ。何も失わず、身を裂かれるような痛みに晒される事もなく、蹴ったボールの行方に一喜一憂していられた。
「自分も他人も、会いたい人に会えなくなるような、そんなのは悪です」
「そうですね」
男性が歌に答えて、物憂げに眉を傾ける。

「会いたい人に会えなくなってしまうのは、寂しいです。後で気付いても遅いんだ……」
「…………」
「あ、すみません、オレ、本当に。あ、時間」

男性が丸い掛け時計を見上げてベンチを立つ。歌が通うこの病院は、カウンセリングルーム以外で患者の名を呼ばない為、自分で時間を見て行動しなければならない。
歌に会釈をして、男性が背を向ける。
歌は慣れてしまった笑顔で応えて、なんとなく、口を開いた。

「ぼくもそう思います」
「え……?」
男性が慌てて振り返る姿が、少しだけ歌の大事な友人に重なって見える。
「会えなくなってからじゃ遅いから、不意に思い出すなら、会わないと」

声に出した後で、論点がずれている気がしたが、歌の言葉に、男性は優しげに微笑み返した。
「本当に、オレもそう思います」

(身内に逮捕された人でもいるのかな)
歌の頭を過ぎったのは、完全に余計な詮索だ。
他人には、敬意ある無関心を。
大切な人には、惜しみない心を。

(週末、埼スタで試合あったよな)
歌はスマートフォンの電源を入れて、心臓の横で脈打つ小さな緊張と、チケット情報を確かめた。


* * *

保護観察官の紹介で訪れたカウンセリングに、直也はあまり気乗りがしなかったし、実際に話をしてみても、彼には特別必要な行為には感じられなかった。担当した医師も、いつでも来ていいとは言ったが、次の予約は勧められなかった。
しかし、ロビーで隣り合った男性は、直也に苦い気持ちを思い出させた。

『どんな理由があっても、犯罪は悪です』
悪は悪だ。
過去と縁を切る事は出来る。だが、自身の行動からは、誰も逃れられない。
思い出しながら、苦しみながら、それでも、一生付き合っていくしかない。付き合っていける自分になりたい。
「あの人は、何かの事件の被害者なのかな……」
考えて、何の接点もない相手でありながら、直也は申し訳ない気持ちがして俯いた。地面の僅かな凹凸が嵐の海面みたいに波打って、直也の目を眩ませた。

『ぼくもそう思います』
彼の言葉を思い出して、直也の視線が、足元から伸びる自身の影を追うように上を向く。
『会えなくなってからじゃ遅いから、不意に思い出すなら、会わないと』

直也は罪悪感ごと、ポケットの携帯電話を握り締め、意を決してフリップを開いた。
ボタンを押す。
発信先を選ぶ。
呼び出し音が鳴って、まるで当たり前のように彼の声が直也を呼ぶ。

「うん。もし明日晴れたら、バスケでもどうかな?」
自分が彼を遺していなくなってしまう前に。

それから、ずるいな、と直也は自分で思って笑った。
ロビーのニュースで、週末まで晴天が続く事はわかっていたのだから。


(了)
 
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