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[Fennel]カボチャ従者と冥府の王
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scene1、フェン


その年のソルドは、いつもとは様子が違っていた。
麦の刈り入れと豊穣祭も終わり、人々は冬支度を整えて寒さに備える。ソルドはフェンの祖国ストライフと同様に四季を持ち、一年を一日に当て嵌めるとよくその色を表したが、冬の始まり、即ち、陽が沈んで辺りが静まる夕暮れ直後にしては、街に華やかな彩りを感じた。
街、そのものではない。
人々、特に年若い少年少女が気も漫ろに頬を弛めている。
「大学で流行ってるらしい。カボチャ従者」
「カボチャ従者?」
「そ」
ロカは注文を運んで来ようとする店員に慣れた様子で手を挙げ、自らトレイを受け取りに行く。
彼が手際良く、水のグラスと食事の皿をテーブルに配るのを眺めて、フェンは、前に来た時よりグラスの透明度が上がっているとぼんやり思った。硝子細工はソルドの主要産業のひとつだが、日々の進歩が目に見えて感じ入る。
ロカはテオにパン籠を勧めて、固い丸椅子に腰かけながら顔馴染みの挨拶に応えて、話を継いだ。
「オレもカティアさんに聞いたんだけど。あの人、今、大学で徒手武術を教えてるだろ。色んな話が耳に入ってくるみたいでさ」
カティアは隠れ里でイリスを守り続けた里長だ。情報収集は里の存続を左右する重要な技術として身に付いているだろう。
フェンはパンの端を千切って、スプーンに挽肉と煮込んだ豆を掬った。
「大学に新しい役職が出来たの?」
「いや、留学生の話。オルドゥディ大学の方だったかな。遠方からの留学生の話で、そこの国の習慣らしいんだけど、冬の始まりにあの世から冥府の王が甦って来るんだって」
「強い?」
思わずフェンが尋ねると、ロカはパンを齧ったところで手を止める。
黄泉の国から定期的に帰って来る王だ。生前もさぞかし名を馳せた亡霊なのだろう。死して尚、地獄の番人を打ち伏せる姿が思い浮かぶ。が、質問の順番を間違えたらしい。



ロカは一呼吸置いてから、思い出したように端を噛み千切った。
「うん、強いんじゃないか? あの世から来て、まだ生きてる人間を連れ帰るらしいから」
「本当?」
「っていう話」
フェンは言葉を失った。
世界は広い。フェンは随分、色々な国を回ったつもりでいたが、直系の祖先でも個人的怨恨もない者の霊が生者に害を為すという話は聞いた事がなかった。
テオは興味がなさそうに、黙々とフォークを進めている。
「カボチャは?」
フェンが尋ねると、ロカはニヤリとしてフォークの先で鶉芋を刺した。
「王は亡者を引き連れて戻って来る」
「亡者……」
「この世の者とは思えない恐ろしい姿をし た亡者達は、生者を襲って仲間に引きずり込む。手にカボチャを刳り貫いた燈火を持って、夜の窓を叩くんだ」
「カボチャ従者は死んだ人なの?」
では、大学の生徒達は幽霊に会いたいのだろうか。会えば殺されてしまうというのに。
ロカがチーズを口に放り込んで、違う違うと首を振る。
「カボチャ従者には撃退法が二個ある。ひとつは美味い菓子を振る舞う事。窓を叩かれたら、窓の隙間から菓子を渡すと帰って行く」
フェンは、ロカの深緑色の双眸を見つめて次を待った。
「もうひとつは、変装してカボチャ従者の仲間のフリをする方法。もう死んでる奴は殺せないだろ」
「……っ」
フェンは口を驚嘆の「お」の形にした。
なんという名案、盲点だ。
「ついでに、その格好で窓を叩けば菓子がもらえるって訳。だから、冬の始まりには子供達が思い思いに変装して、カボチャの燈火を持って、近所を歩く風習があるんだって」
「面白い」
「な」
「うん」
フェンは何度も頷いた。


成程、話が分かって見ると、飯屋の隅にも堅いカボチャを懸命に刳り貫こうとしている少女がいる。茹でてから中身を抜けば良いと飯屋の女将に言われて怒っている間に、主人に取り上げられて斧で割られてしまった。
少女は泣き出し、厚意でしたつもりだった父親と母親はきょとんとして顔を見合わせている。
「大人達まではまだ伝わっていないみたい。夜、窓を叩かれて、怖い格好をした人がいたら吃驚するね」
「そうだよなあ。話を聞いてる家には目印を付けるとかした方が良いかも。あと、事情を知ってる巡回を増やしてもらって……」
ロカは言いながら、段々と考え込むように押し黙ったかと思うと、徐にスープとパンをかき込んだ。
「オレ、ちょっと兄貴に話して来る。遊びで怪我人を出したらつまらないもんな。フェンはどうする?」
「私は参加したい」
フェンが即答すると、ロカだけでなく、テオも少し驚いたような顔をした。何か奇妙しな事を言っただろうか。
「ダメ?」
「いや、ダメって事はないけど。そっか、うん。そうだよな」
ロカは一人で納得して、ここにいるのを確かめるみたいにフェンの頭を撫でる。
「じゃあ、後で」
「うん。またね、ロカ」
慌ただしく店を出ていくロカを見送って、フェンは隣を見た。
「テオは?」
「今日の内に釣り餌を集めておく」
「手伝う?」
「いらん」
いらないらしい。フェンはパンをもう一欠片千切って、奥歯で咀嚼した。
「ソルドのパンは美味しい」
焼きたての小麦の香りが鼻に抜けた。





scene2、ロカ


フェンが仮装に興味を持つとは意外だった。
しかし、思えば彼女もまだ子供の内に入る年齢である。時には同じ年頃の子供と一緒にはしゃぐのも悪くない。否、寧ろ積極的に遊んで良い。
ロカは王城の通用門で、警護に当たる軍兵に用向きを伝えた。
「あれ、ロカじゃないか?」
「! ナックさん」
声を掛けられてロカが振り向くと、赤毛の髪を丸刈りにした騎士が馬を降りるところだった。
三十歳手前の騎士で年下の団長にも誠実に従うが、団長の弟であるロカは特別視はせず、きさくに接してくれる。気の良い青年という印象があった。
「お疲れ様です」
「団長に用事?」
「はい。言伝てをお願い出来ますか?」
「いいよいいよ、入っちゃえって。おれも今、詰め所に戻るところだから」
ナックは従騎士に馬を預け、ロカの後頭部を鷲掴みにする。
ロカは首を竦め、しかし抵抗出来ず、数歩歩いてしまってから、ナックを見上げた。
「いいんですか? 確か、城門で人の出入りを記録するようになったって」
「いいよな? おれが責任を請け負うから。つまり、お前が何かしたら、おれに斬られるって事だぞ。おれに団長の弟を斬らせるなよ」
団長の弟、という一言で、面識のない新米軍兵も安堵を覗かせる。
「よし、行こう」
ナックに後頭部を押されて、ロカは躓きそうになりながら、通用門を潜った。
王城内に作られた騎士の詰め所には、常に数人の騎士が控えているが、丁度、訓練の時間だったらしい。
十人ほどの騎士が中庭で剣を交えている。ソルド国内でも選りすぐりの精鋭が集まっているだけあって、大学の訓練とは緊張感が違う。真剣に打ち合う剣戟など、鼓膜を痺れされるほどだ。
そんな騎士達の中で一際、目を引く騎士がいる。



制服の色も、振るう剣も全て変わりはない。しかし、体裁きの俊敏さと、佇まいの安定感は群を抜いており、踏み込む一撃で相手の騎士に尻餅を突かせた。
「ありがとうございました」
「倒れても剣は放すな。立てずとも悪漢の侵入を防ぐ方法はいくらでもある」
「はい!」
若い騎士の返事には喜びの色さえ感じられる。
訓練が途切れたところで、ナックに背を叩かれて、ロカは回廊の縁から声をかけた。
「兄貴」
「ロカ」
圧勝した方の騎士が、鋭い剣を鞘に収めて半身を返す。
ロカと同じ、黒髪に深緑色の瞳。
兄のシルフィード・ザジャだ。
「何だよ、その制服」
ロカは兄の全身を遠く眺めて目を眇めた。
騎士団長の制服は、他の騎士とは色が異なるが、今日のシルフィードは皆と同じ色の制服を身に纏っている。せめて団長の制服を着ていれば、目に付くのは色の所為だと言い訳できるのに、これでは中身を認めざるを得ない。
「久しぶりに顔を見せたと思えば、騎士団への異論申し立てか?」
「違うよ!」
ロカはいつもの調子で反論してしまってから、周りの目を気にして冷静な表情を取り繕った。ナックとデューターが口の端に笑みを挟んでいたが、見なかった事にする。
ロカは大学の噂をシルフィードに話して聞かせた。
「だから、街の人に周知して、協力してもらうか、無視を徹底してもらった方が良いと思って」
「外国の風習か」
シルフィードは生真面目な顔で何事かを考えていたが、不意にロカと目を合わせると、踵を返した。
「レジエクス様が外交任務で城を空けている。公議として動く事は出来ない」
「冗談だろ」



「が」
反駁しようとするロカを、シルフィードが短い言葉で差し止める。
「巡回の騎士達に住人へ注意喚起をさせよう。――ナック」
「はい」
ナックが表情を引き締め、駆け付ける。
「戻ったばかりで済まないが、大学を廻って、生徒に目印の件を伝えるよう、話してくれないか」
「承知しました」
「生徒の一人歩きも出来れば禁止させて欲しいと伝えてくれ。無論、騎士団が見廻りに当たるが、暗闇に便乗する不逞の輩が現われないとも限らない」
そこまでは考えが及ばなかった。ロカの提案では片手落ちだ。
「ロカ」
呼ばれて、自然とロカの背筋が伸びる。
シルフィードは肩越しに振り返り、高潔な眼差しで少し微笑んだ。
「よく報せてくれた」
「! 別に」
シルフィードの為ではない。
「ナックさん。オレも手伝います」
「ありがと、助かる」
話しながら、心が勝手に感覚を反芻している。
誇らしいような、嬉しいような、きっと先程の若い騎士もこんな気持ちだったのだろう。
それを抱かせるのが、騎士団長だ。
ロカはシルフィードの背を見据えて、乗り越える壁の高さを再確認しただけだと、自身を奮い立たせた。





scene3、アシュレイ


大学の授業は嫌いだ。
教室が五月蝿い。わざわざ金と時間を使って勉強をしに来る人間の集まりだから、私語で物理的に五月蝿いという訳ではないが、
(人間はいるだけで煩い)
折角の講義で他人に煩わされるなど、無駄にも程がある。片っ端から気脈を断って眠らせてしまいたい。
だが、アシュレイの苛立ちは、彼自身の気配をも乱していたようだ。
「講義は退屈か?」
授業終わり、カティアに声をかけられて、アシュレイは己の未熟さに気が付いた。
カティアもまた騒がしく感じる教室で、雑音をやり過ごし、イリスとソルドの為に教鞭を振るっているのだ。それをアシュレイが乱して何とする。
アシュレイは秘かに――カティアには気取られているだろうが――呼吸を整えて、廊下の陰影に溶け込んだ。
「いえ、里内では感知される前に終わらせる事が前提ですから、敵に気付かれた上に攻撃まで受けてからやっと対応するカウンター技を、掛ける側として学ぶ事には新しい発見も多いです」
「相手の立場になって物を見る事は、人の器を柔軟にする。柔らかな器は、大皿にも深い壺にもなる。良い姿勢だ、アシュレイ」
ア シュレイの返事に、カティアは空色の瞳で鷹揚に頷き返す。後ろから、話に夢中になって前を見ずに歩く生徒が彼女の背にぶつかりそうになって、アシュレイ は神経を尖らせたが、彼が動く前にカティアが脇へ避けて、足が縺れた生徒を支えてやる。生徒は頬を赤らめ、小走りに逃げていった。
世が世なら、アシュレイは踏み止まらずに意識を刈り取っている。ソルドの民は寛容なカティアに感謝すべきだ。
「そうだ。もし時間に余裕があったら、湖の様子を見て来てくれないか?」
「分かりました。しかし、カムマイル湖で何かあったのですか?」
「何が起きているのか、が分からないのだ」
カティアが細い眉を顰めて表情を曇らせる。



「深夜、西の湖岸に妙に高い波が来る事があるらしい。調査に当たった騎士数名が、頭からずぶ濡れになったと聞いた」
それは見物だ、とアシュレイは思ったが、カティアの前なので黙っておく。
「地形の変化でしょうか。生物による生態行動とも考えられますが」
「うむ。ミグレイを向かわせるつもりだったが、レジエクスの外交任務に同行させてまだ戻らないのだ。様子見だけで良い」
「外交任務……」
イリスも開かれたものだ。曾ては彼ら自身が暮らすソルドとも隔絶して隠れ潜んでいたというのに、今では里長が大学で教鞭を取り、国外にまで派遣されるようになった。
イリスの特性から、存在を隠しての護衛任務である事は間違いないが、少し前なが考えられなかった事である。
「分かりました。異常の起きる地点と原因を探ります」
「頼む」
カティアはアシュレイの肩に手を置き、そして、彼の視線を真っ向から捉えた。
「里がどのような形になっても、お前が何処にいても、イリスは変わらずお前の傍にある。忘れるな」
イリスはここに。アシュレイの身体に。
「はい」
アシュレイは視線を定めて頷いた。
カティアは柔らかに微笑むと、石造りの廊下を泳ぐように歩いて行った。



緋色の衣の残像が、アシュレイの羞恥心を呼び起こして思い返させる。
カティアの講義を聞きに来られたこの好機に、他人に気を散らし、カティアに気付かせてしまったばかりか、皮肉めいた返答をしてしまった。
カティアに言ったのではない。飽くまで、周りの生徒に対しての落胆であって、くれぐれも、返す返すも、何はなくとも、アシュレイはカティアの講義に文句があった訳ではないのだ。
柱に凭れ掛かって顔を埋めたい衝動を堪えて、アシュレイは壁を睨み付けた。
「アシュレイ」
「!」
咄嗟に構えを取りそうになった。
「なんだ、ロカか」
年齢の割りには天真爛漫な目に八つ当たりをしたくなる。アシュレイは身を翻して、廊下を出口へと歩き出した。
「ちょっと、おい」
「何?」
ロカが付いて来るので、アシュレイは素っ気なく用件を尋ねた。
「人の話を聞く時はさあ」
「話したい事がある方が合わせれば良い」
「そ……っ」
言葉に詰まって、ロカが腕組みをする。
「そうかもしれないけど」
一時期は馬鹿みたいに捻くれていたクセに、一周してしまったのか、ロカには妙に素直な所がある。
「で?」
アシュレイが水を向けると、ロカがぱっと明るい顔に戻った。
「カボチャ従者の噂、聞いた?」
「家人を脅かして菓子を強奪する強要行為の事?」



構内を移動中に、生徒同士の会話で幾度か耳にしている。
「『驚かす』な。強盗じゃないんだから」
ロカが年上ぶって呆れる。実際には一歳しか違わない。
「それが何」
「お前行く?」
「僕が。他人の家に。菓子をもらいに?」
アシュレイが一言ずつ区切って念入りに聞き返すと、ロカは半笑いで目を逸らして、横を向く。
「……ないな。ない。うん。知ってた」
そんな異国の風習が出回っているから、いつにも況して校内の空気が浮ついているのだ。アシュレイはげんなりした。勉強をしたいアシュレイにとっては大変な迷惑である。
「わざわざそんなくだらない事を聞きに来た訳?」
「あー、いや。オレは騎士団と一緒に学校廻りをしていて。目印のない家には行かないようにって生徒に指導してもらえるように頼んで来た」
「目印は誰が付けるの?」
「別働隊が街の人に知らせて廻ってる」
「騎士団も良い迷惑だね」
学校の門から石段を下りる。アシュレイが敷地外に出ても、ロカはまだ付いて来た。
「任務で来たんだろ」
「もう終わった。帰ろうとしたら、アシュレイがいたから」
「用があるなら早く言ってくれる? 今更、何を言われても、これ以上、君の評価は下がらないから」
アシュレイは辛辣に言い捨てたが、ロカはまるで堪えた様子もなく、剰えアシュレイの腕を掴んで立ち止まらせ、馬車売りのパン屋に声を掛ける。
寄り道なら一人でやってくれ。
「ほら」
苦々しく思っていたアシュレイの目の前に、ロカが、甘い香りのするパンを差し出した。まだ湯気が立って、上にのせて焼かれたチーズの端が溶けている。
「……いらない」
「お前の分なんだから、お前が食え」
押し付けられた。



ロカが歩を再開する。アシュレイは不承不承、彼の話に付き合った。
「昼飯、フェンと一緒だったんだけど、そこでカボチャ従者の話をしたんだ」
パンというより菓子に近い生地は、サクサクとして、質量もしっかりある。悔しい事に、アシュレイはチーズが好きなので、美味いか不味いかと言ったら美味だ。
「彼奴、やりたいって」
ロカの話を適当に聞き流していたアシュレイは、話の行方を一瞬、見失った。
「カボチャ使者を?」
「従者な。カボチャ従者」
どっちでもいい。どうでもいい。
心の底から興味のない顔をしたアシュレイに、ロカは気付かない様子で砂糖がけパンを頬張った。
「大丈夫かな。目印の事は伝えに行くつもりだけど、夜一人で歩き回って、変な奴に目を付けられたら」
「相手に大怪我をさせないか心配だね」
「うん、そう……って、そうじゃなくて」
「口の端に砂糖が付いてる」
「えっ」
ロカが慌ただしく手の平で頬を拭う。反対側だが、もう放っておこう。
アシュレイは親指に付いたチーズを舐め取って、愕然とした。
気が付けば、アシュレイの方がロカの後に従って歩いている。
アシュレイは歩を急停止した。
「どうした?」
「行かない」
アシュレイはロカを睨んで、きっぱりと断言した。
「僕はカボチャ使者にはならない。君が行けばいいだろ」
「オレは騎士団の手伝いをしたいんだけど」
ロカが唸りながら、パンの残りを口に詰め込む。彼は暫くパンを噛むので声を出せないでいたが、アシュレイを待たせた挙げ句にようやっと飲み下すと、手を叩いてパン屑を払った。
「とりあえず、フェンがどんな格好するか見に行こうぜ」
「行かないって言ってるだろ」
「もう着いてる」
アシュレイ一生の不覚。
いつの間にか、目的地に誘導されていたとは。
「置いてくぞ」
そう言いながら、ロカの手は確りアシュレイの腕を掴んでいる。
「僕は用事が――」
声は届かず。
アシュレイは土嚢の様に項垂れて、ロカに引き摺られて飯屋に入った。





scene4、ロカ


アシュレイを連れて飯屋に戻ったのは、店員が、フェンとテオの行き先を聞いていないか尋ねる為だった。
ソルドは国土の多くを湖が占める。それを囲む狭い陸地の中でもほんの片隅にあるのが王都オゼイユだが、それでも人一人を捜して歩くには広過ぎたc。
ところが、
「あ、ロカ」
フェンはまだ店にいた。
「アシュレイも一緒だったんだね」
駆け寄って来たフェンに、ロカは言葉と思考を忘れ、視線を彼女の頭の天辺から爪先まで往復させた。
突拍子もない格好をしている。
ブーツは内側に羊の毛を詰めた冬用の裏革ブーツだ。裾を絞った膝丈のワンピースを着て、肩には短いケープを羽織っている。ケープの胸許は大きなリボンで留められて、更に丸いフードが付いていた。
手袋も親指以外が一纏まりになったミトンで、手の甲に柄が編み込まれ、毛糸で作ったレースの塊が花を添える。
「変?」
「……いや」
「戦闘力が下がりそうな格好だね」
ロカが何と言えば良いか考えている間に、アシュレイが身も蓋もない感想を述べた。フェンはいつも通り、怒った風でも喜んでいる様子でもない。
「仮装の話をしたら、女将のジャスミンさんが貸してくれたの」
フェンの後ろで、カウンターの撥ね板が上がった。
「人間じゃない格好をすれば良いんだろ? これは、あたしが若い頃に着て、森の精霊みたいだって言われた服なんだよ。はい、仕上げ」
フェンがジャスミンと呼んだ店員の女性は、この辺りでも美人と評判の女将だったが、昔もさぞ美少女だったのだろう。この服を彼女が着たら、儚い精霊に見えるというのも頷ける。
フェンが着ると、何だかもこもことして、雪の子供の様だ。



ジャスミンは革に穴を開けて紐を通したマスクをフェンの目許dに付けさせて、彼女の丸い頬に、木の葉の様な、ヒゲの様な模様を指で描いた。
「よし、可愛く出来た」
「これで、カボチャ従者に混ざれる?」
「完璧」
「ありがとう!」
マスクをしている所為で、フェンの表情は余計に読み取り難いが、声がいつもより弾んでいるのが分かる。
ロカは溜息ひとつで、彼女を止める事は諦めた。
「テオも着替えたんだよ」
「――!」
ロカは既での所で堪えたが、アシュレイは遠慮なく吹き出した。
テオがスーツを着ている。昔のソルドで貴族が着たような、所謂、社交服だ。肩には長いマントを羽織り、顔の左半分だけ黒い仮面をかぶっている。
最早、仮装というより変装だ。ロカは言われるまで、テオだと気付けなかった。
「いいだろう。旦那が前に、寄り合いの余興で着るって言って、作らせたんだよ」
「俺は菓子をもらう年齢の餓鬼ではない……」
「御礼だよ、御礼。うちの子の分も、カボチャを刳り貫いてくれただろ。おまけに近所の子達の分まで」
見れば、店の一画に中身を刳り貫き、側面に模様やら顔やらの形の穴を空けたカボチャが積み上がり、値札が立ててある。商売上手な女将だ。
「似合うよ、テオ」
褒めるアシュレイの声は震えている。止めろ、ロカまで我慢していた笑いが籠み上げるではないか。
「アンタ達は何が良いかね」
「へ?」
ジャスミンがロカの両肩に手を置く、と同時に、アシュレイが身を反転する、と同時にロカはアシュレイの腕を掴んだ。
「放せ」
「自分だけ逃げる気か」
そうはさせない。右腕一本になってから、ロカは筋力も握力も人の倍鍛えている。
「旦那が水辺の紳士と呼ばれた服と、娘が祭りで着た狼の毛皮があるよ。勿論、偽物だけどね」
ジャスミンは美しい顔立ちで微笑み、ロカを上回る脅威の握力でロカとアシュレイの首根っこを捕まえた。





scene5、アシュレイ


最悪だ。
アシュレイは夜の闇に紛れ、テオのマントの陰に隠れて通りを下った。
水辺の紳士とは、言ってくれたものである。
水辺の藻屑の間違いだろう。
膝下まであるワンピースに無数の端切れを縫い付けて、袖口の輪に中指を通すと端切れに指先まで隠れてしまう。御丁寧にフードまであるので、外から見える部分は顔と足首を残すのみだ。寧ろ、その二箇所だけは隠して欲しかった。
「夜だ。どうせ見えない」
テオの無愛想な慰めが逆に悔しい。
飯処の女将が強引に彼らの服を取り上げて洗濯など始めなければ、強引にでも、脱ぐ事が出来たのだ。
「テオは、湖に何の用?」
アシュレイが帰るまで、まだいるような用事だと良い。帰りも隠れ蓑に出来る。
テオはカボチャの燈火と一纏めに持った箱を見せた。
「釣りの餌を獲る」
「昼に獲れば良いのに」
「夜でも変わらん」
そうだった。
テオ達は夜目が利く。獣と同様に、人には見えない世界を見て、僅かな灯りを反射して瞳に光を帯びる。
イリスにその能力があれば、今頃、ソルドを統治しているのはイリスだったかもしれない。
「お前は」
テオが言葉少なに尋ねる。
「仕事だよ。湖に不規則に大波が立つ現象が確認されている。風浪の元の風が奇妙しいのか、湖の底の地形に変化があったのか。夜の間しか見られないらしいから」
「そうか」
テオがアシュレイの話に相槌を打つので、フェンに対するよりはまだ他人行儀なのだなと思う。二人の会話を隣で聞いていると、暗号でも使っているのではないかと疑われるほどに言葉が削ぎ落とされて、解読が非常に困難だ。
テオが夜空を仰ぐ。
雲に覆われた空は黒く、重く、雲が風に流されるというより、空全体が動いているかのようだ。時折、雲間から覗く三日月も、薄い雲に覆われて、淡い光を見せてはすぐに雲に埋もれてしまう。
その真下に広がる湖は、茫洋として暗い。傍に寄って見なければ、本当に水を湛えているのかも確信が持てなかった。
「とりあえず、問題の波そのものを確認する。帰る時には声かけてよ」
「分かった」
アシュレイはテオの陰から分離して、カボチャの燈火を受け取り、湖岸の岩場へと飛び下りた。



足場の悪さは問題にはならないが、暗い分、慎重にならざるを得ない。
研ぎ澄ますのは、聴覚、嗅覚、そして肌に触れる感覚だ。
冷たい風が皮膚を滑り、熱を攫う。
水の香りが、呼吸に水気が混じったかのように錯覚させる。
耳に聞こえるのは、自らの気脈、足が踏む重力、微かな水音、何かの気配。
アシュレイは闇に目を凝らした。
瞬間、手許の灯りが消える。
カボチャの燈火が水に濡れている。
アシュレイはすぐに燈火を手放し、集中を高めた。
(この香り)
水に紛れて、花の香りがする。
「!」
気を取られた隙に、大波がアシュレイを襲った。
頭から水をかぶった。視界は塞がれ、全身に縫い付けられた端切れが水を吸って、手足の動きを妨げる。
(地面からの跳ね返りが少ない)
アシュレイが意識を向けた足許が、岩場から滑り落ち、身体が湖に放り出された。
(今のは)
一瞬前の感覚を手繰り寄せる。
皮膚が感じた確かな感触。足首を、何かに掴まれた。
湖の水面が迫る。アシュレイは瞬時に息を限界まで吸い込んだ。
が、水の中には落ちなかった。
足首を掴んで引き摺り下ろされ、刹那、手首を掴んだ強い力に引き上げられる。膝裏と肩甲骨を腕で固定され、何者かに抱きかかえられているのが分かった。
言うまでもない。
テオだ。
無様。アシュレイは押し寄せる恥辱に血液が逆流しそうになった。
波に足を取られ、湖に落ちかけて、他人に助けられ、少女みたいに抱きかかえられている。
否、波ではない。
彼を湖に引きずり込んだのは、紛れもなく意志を持つ者だ。
アシュレイはテオの厚い胸筋を手の平で叩き、地面に下ろさせると、フードから滴り落ちる水滴の下から『それら』を睨め付けた。



「何人いる?」
「……三人」
テオがぶっきらぼうに答える。
それが分かれば充分だ。
「その香り、タジキか」
「……っ」
岩場の気配が慌てふためく。
「水を掛けられたくらいで、任務に馬鹿真面目な騎士団が尻尾を巻いて逃げるとは考え難い。が、仲間に体調不良が出たとすれば腑に落ちる」
タジキは少量で吐き気や眩暈を引き起こし、大量に摂取させて幻覚を見せる。
「国が使用を禁じる薬草。闇取引を隠す為、湖を利用したな?」
売り物で追い払うとはお粗末な。美学も流儀もない、小悪党だ。
「逃げるぞ」
テオが言う。
「させるか」
相手が動けば、気流が生じる。気配が居場所を教える。闇を見透かす目などなくとも、イリスに死角はない。
アシュレイは岩場の陰に飛び込むと、落下する自重を使って一人、返す手で二人、そして、逃げようとする三人目の行く手に回り込んで、残らず地に沈めた。
終いだ。
「テオ、城に知らせてよ」
「俺は釣り餌を集める」
そう言って、テオは何事もなかったかのように石で地面を掘り始める。
「……僕が一人で帰れないの知ってるクセに」
「知らん」
突慳貪なテオの答えに、アシュレイは行きかけ、戻りかけ、立ち止まって、葛藤の末に彼と背中合わせにしゃがみ、木の枝を拾った。
借りを作るのが嫌なだけだ。
アシュレイは心の中で弁解しながら、地中の蔓虫を掘り出して、テオの木箱に押し込んだ。





scene6、フェン


窓を叩いていないのに、菓子を沢山もらってしまった。
フェンは右手にカボチャの燈火を、左手に菓子の詰まった袋を下げて街を歩いた。
カボチャの燈火が笑い声を伴って通りを行き交う。すれ違う人々は誰も彼も奇妙な格好をして、何処に本物が紛れているか分からない。
亡霊は人に紛れる。
フェンが幼い頃、師のカーズが話してくれた事がある。
人は死んだ後、何処へ行くのか。吟遊詩人の詩に聞くように、死して尚、亡霊として世を彷徨い歩くなら、城には無数の霊の怨念が犇めいて、もがき苦しんでいるのではないだろうか。
怖くて悲しくて眠れなくなったフェンに、カーズは言った。
亡霊は仲間を探している。
霊には霊が集まり、悪には悪が集い、善には善が宿る。
フェンが祖霊に敬意を払い、正しい行いをする限り、フェンの元に現われるのは善なる者であると。
では、カボチャの従者が集まって、喚び戻される者は誰か。
遠い異国の祭りでも、喚ぶ者があれば応えるに違いない。
フェンは通りを外れて、城の東、薄暗い池の畔までやって来た。
彼女の目的は菓子ではない。
冥府の王。
王ならば、何処から来る。
王ならば、向かう先は城だ。
雲の空高くは天の草原、水の底深くは地の洞窟に繋がっていると聞く。
(来るかな、来ないかな)
フェンは池の畔に燈火と菓子を置いて、水面に映るカボチャを覗き込んだ。
静かだ。
虫の声も聞こえない。
森が蠢く風が鳴る。
音だけだった風が不意にフェンの耳許に届く。瞬間、フ と燈火の灯りが消えた。



闇だ。
灯りに慣れた目は暗闇を捉え切れず、宙を彷徨う。遠くの灯りは見えるのに、目の前にある自分の手の平が見えない。
永劫の闇の中、初めに訪れたのは蹄の音。
次に、唐突に光の球体が浮かび、馬体の筋だけが見える。
「何者だ?」
地の底に響くように低い声が、フェンに殺気を向けた。
背筋に寒気が這い上がる。
血液が沸く。
心が躍る。
遂に来た。
「冥府の王」
フェンは呼びかけて、背の棍を抜いた。
「手合わせ願う」
「……闇討ちか。容赦はせぬ」
馬上から、大きな影が地に下り立つ。
フェンはその場で二度跳んで、三度目で地面を蹴った。
交差して構えた棍を、肘で固定する。相手が動かなければこのまま懐まで突っ込む。が、そうはいかない。
燈火の照り返しで剣だけが見えた。
フェンは左足を引き、右足で影の足許に潜り込みながら体勢を低くして、腕の交差を戻し、棍で影の足許を薙ぎ払った。
「!?」
硬い。
フェンの打ち込みは確かに入ったのに、撥ね返された。
棍が届く寸前に、冥府の王が剣を地面に突き刺したのだ。
剣が土を散らす。素早く引き、力を溜めた剣が振り下ろされる。フェンは咄嗟に左手を上げ、棍の胴体で刃を受け止めた。
止めたにも拘らず、力任せに押し込まれて、切先がフェンの額に迫る。
体勢が悪い。押し潰される。
ならば、こちらから潰れてやる。
フェンは剣を押し上げる力を背骨に伝え、膝を抜き、爪先を地面に滑らせて、冥府の王の股下を潜り抜けた。
剣が行き場を失って地面に減り込む。
フェンは逸早く立ち上がり、広い背中に打突を入れた。
今度は当たった。手応えがあった。
が、冥府の王は僅かに上体を傾けたかと思うと、捻った左腕でフェンの右肘を掴む。左足を軸に身体を反転させながら踏み込み、自らの左腕の下に右腕を潜らせてフェンの左肘を掴んだ。
両腕を取られた。
フェンは左手を放して、右手一本で棍を冥府の王の顳かみに突き刺そうとした。
半手前に冥府の王が腕を開き、フェンと背中合わせになる。彼はフェンの両肘を捕まえたまま、上体を倒し、自身の腰にフェンの腰を乗せて担ぎ上げた。
フェンの足が空を掻く。
肘を固められて、腕が振れない。



「くっ」
「終わりか」
背中から直に声が響いてくる。
投げられるくらいなら。
フェンは右の踵を冥府の王の背に突き立てて、左の爪先で同じ背を蹴った。足を振り上げ、重心を上体から腰に移動する。
腕が捻れて痛い。
だが、相手も同じ筈だ。
腕を水平軸にして、フェンは身体を回転させた。
冥府の王の手首が裏返る。大きな両手がフェンの肘から外れる。
背中にいた彼の頭上を越え、フェンは両手で彼の頭を鷲掴みにして、弧を描く自らの両膝を顔面に叩き込んだ。
拉げる感触があった。が、手の平だ。
冥府の王は、即座に両手を引き上げ、顔面とフェンの膝の間に挟んで、攻撃を防いでいた。
フェンは彼の胸を蹴って、後ろ向きに跳び、距離を取って着地した。
棍は何処だ。
フェンは棍を探し、同時に冥府の王を警戒して、彼と彼の足許を忙しなく交互に見た。
「フハハ」
「?」
地を這うような声が、笑みに震えた。
影が身を翻し、燈火を横切って、馬上に身体を引き上げる。
「逃げるのか!」
フェンが食ってかかると、冥府の王は悠然と手綱を引き、馬の鼻を森へ向けさせる。
「闇に手柄をやるのは惜しい。小童、次は太陽の下でかかってこい」
不敵な言葉を残して、あとは一度も振り返らず、馬蹄の音が遠離っていった。
「…………」
フェンは全身の力を抜いて、仰向けに倒れた。
澱んだ雲がフェンを見下ろしている。
風が前髪を揺らし、額の汗を吹き冷ます。
肘が痛い。
手の平がまだ痺れている。
「……っ、……っ! 強い!」
フェンは籠み上げる昂揚を留めておけなくて、両の拳を空に突き上げた。





scene7、ロカ


ロカはカボチャの燈火を手放せなかった。
ジャスミンの用意した服の所為だ。
服自体は、首許と前腕、ブーツの臑に毛皮を模したウォーマーが付いている程度だが、腰から尻尾が垂れ下がっている。頭には三角形の耳が立っている。カボチャの燈火で仮装だと主張しなければ、とても表通りを歩けない。
夜も更けて、通りを歩くカボチャの数も減り、華やいだ街は徐々に静穏に暮れて、穏やかな眠りに就くようだ。
目立った騒ぎもなく、家の中からは子供達の楽しげな笑い声が聞こえてくる。
(一旦、着替えて出直すか)
ロカは飯屋に戻ろうと、街の外れで踵を返そうとした。
カボチャがいた。
街とは反対方向の、王城を囲む森の方角から、カボチャがゆらゆら歩いて来る。ロカが立ち止まって目を凝らしていると、それはぴょこんと頭を振って、残りの数碼を走って距離を詰めた。
「ロカ」
「フェン?」
思わぬ方向から現われた彼女の姿に、ロカは唖然とした。
泥だらけだ。
手の甲を擦り剥き、顔に塗った塗料は擦れて掠れ、フードが草をかぶっている。
「どうした? 何かあったのか?」
血相を変えて尋ねたロカに、フェンは無邪気な笑顔で答えた。
「冥府の王様、強かった! 勝てなかった。でも、まだ負けてない」
フェンは珍しく興奮気味に話して、ロカとの間の最後の一歩を跳んで詰める。
忘れていた。
彼女はロカに訊いたではないか。
冥府の王は強いのか、と。
「菓子をもらいに行ったんじゃなかったのか」
脱力するロカに、フェンはカボチャの燈火と反対側の手を掲げてみせる。
「もらった。一緒に食べよう」
フェンはどうしてこうなのか。
ロカの予想も、心配も軽く飛び越して、想像だにしない、とんでもない事をしでかしてくる。
ロカは呆気に取られて、箍が外れて、笑ってしまった。
「ロカ?」
「よかったな」
「うん」
フェンが嬉しそうなので、ロカは燈火を置いて、フードの上から彼女の頭をわしゃわしゃと撫でた。





epilogue、冥府の王


「四人いた?」
アシュレイは書庫の本から顔を上げて、本棚の向こう側にいるミグレイに聞き返した。
イリスの里に保管される本の数は、ソルドの蔵書館に比べれば少ないが、混乱期以前の本も残っている。漸く落ち着いて本を読めると思っていたアシュレイは、書庫に先客がいて、それがミグレイだった時点で、全力で無視しようと心に決めていた。
しかし、彼の話は無視出来なかった。
アシュレイが捕まえた密売犯は間違いなく三人だった。
「あと一人は何処に?」
アシュレイが訊くと、ミグレイは二重の瞼を弛めて、本に視線を落とし、ページを捲りながら答えた。
「街道で助けを求められた。選りに選ってレジエクス殿の前に飛び出して来て、敢えなく捕縛されたって訳」
「助けを?」
「冥府の王に襲われたらしい」
作り話ではなかったのか。
アシュレイは驚きを顔に出してしまいそうになって、ミグレイに背を向け、本棚の陰に身を潜めた。
「自分から密売人だって自白したのか?」
「混乱して、言う事はバラバラの滅茶苦茶だったが、情報を拾い集めて繋ぎ合わせると、どうも犯罪に加担してるように聞こえてな。大事を取って、レジエクス殿には一足先に城に戻ってもらって、オレたちで連行した」
「へえ」
奇妙な話もあるものだ。
カボチャ従者に留まらず、冥府の王の仮装をしたお調子者でもいたのだろうか。しかし、恐怖の余り、騎士監査官に助けを求めるとは、間抜けな犯罪者である。
アシュレイは双方に呆れたが、大の大人から理性と判断力を奪う仮装には若干、好奇心が疼いた。視覚で敵の動きを止める事が出来るなら、何にも勝る威嚇になる。
「どんな奴って?」
「何が」
「冥府の王」
「あー」
ミグレイはさして関心もなさそうに頷いて、片手間にページを捲る。
「逞しい身体付きで、服装は古い高貴な礼服を着ていたらしい」
何処かで、聞き覚えがある。
「それに、目が光って、カムマイル湖の人魚を抱きかかえていたって言ってたな」
「!」
「タジキを扱っていたというから、誤って吸い込んで、幻覚でも見たんだろう。――アシュレイ?」
書庫の扉を開けて、秘かに抜け出そうとしていたアシュレイを、ミグレイが気付いて呼び止める。アシュレイは冷汗を隠し、声を平静に保った。
「蔵書館の本と照らし合わせてくる」
「そうか、気を付けて行けよ」
何も知らないミグレイが、朗らかな笑みで手を振る。
(人魚だって? 冗談じゃない)
テオに口止めをしなくては。
ミグレイの話ごと彼を書庫に閉じ込めるように、アシュレイは両手で扉を閉めた。





***

草原に敷いた布の四隅に菓子を置いて、正方形を描く。
二つ目を置いて二周、三つ目を置いて三周と回って、菓子を四等分する。
「凄いの。冥府の王、迅くて、重くて、強かった」
テオはフェンの話に積極的に相槌を打たないが、聞いている事は表情で分かる。目の曇り具合とでも言えばいいのか、色が違う。
今は、釣り針の手入れをしながら耳を向けてくれていたので、フェンは気にも留めず、四つ作った菓子の袋のひとつをテオの前に置いた。
「はい、テオの分」
「……菓子か」
「カボチャ従者のお菓子を食べると、一年間、風邪を引かないんだって」
あとの二包みは、ロカとアシュレイの分だ。
フェンは残ったひとつの、カボチャの形をしたビスケットを割った。右端に入った筋に沿って折れて、三日月の形が出来る。フェンは月を隠す曇り空を思い出し、ビスケットを陽光に翳した。
「けど、冥府の王が闇を避けるのは、ちょっと意外だったな」
三日月を食むとカボチャの甘みが頬に広がって、幸せな心地がした。





***


シルフィードに呼び出されて、ロカが騎士の詰め所に行くと、ナックが数枚の硬貨を手渡した。騎士団に協力した謝礼らしい。
「受け取れません。オレ、何もしてないです」
「何もって事はないだろう。遠慮してるのか?」
「いえ、本当に」
「正当な報酬だ。騎士団を、働きに報いない恥知らずにする気か、ロカ」
尚も辞退しようとしたロカを叱り付けたのは、ナックではなかった。厳しいが、温かみのある実直な物言いは、彼の常である。
「レジエクス先生」
騎士監査官のレジエクスだ。
「外交任務に就かれていると聞きました」
「昨日、戻ったところだ」
監査官はソルドでは王職に次ぐ重要な役職だが、レジエクスは現役騎士だった時期が長く、目線が騎士に近い。また、騎士養成学部で後継の育成にも力を注いでいる為、騎士の大半が彼の授業を受けた生徒だった。
彼を囲む騎士達の顔が、心做しか普段よりあどけなく見える。信頼と喜びが、詰め所の空気を和やかにしていた。
「今、皆でレジエクス先生に話を聞かせて頂いていたんだ」
「話……講義ですか?」
「昨夜、冥府の王と戦ったらしい」
「え!」
ロカはテーブルに詰め寄った。
冥府の王に遭遇したのはフェンだけではなかったのか。



レジエクスが人差し指と中指で、トントンとテーブルを叩いた。
「通りは子供が走り回っていたからな。裏道を通って、城の傍まで来た時、闇に潜む人影があった。其奴は冥府の王と名乗り、飛び掛かってきた」
「おおっ」
騎士達が歓声を上げる。
「人ならざる者に、剣は通じるのでしょうか?」
シルフィードが難しい顔で質問すると、レジエクスも眉根を寄せて腕組みをする。
「手強かった。だが、何者であろうと、騎士の剣が通らぬ者などない」
「倒したのですか?」
デューターが先を急かす。
「斬り伏せる事は出来ただろう。しかし、冥府の王とて武器を落とし、見失っては、無抵抗な赤子に等しい。再戦を約束して立ち去った」
「おお! やはり、先生は素晴らしい」
「亡霊にまで誠意を尽くすとは」
レジエクスが語って聞かせた結末に、ロカも騎士達と共に胸を熱くした。
「ただ、」
歓喜も束の間、レジエクスが鍛えられた首を傾げる。
「亡霊の長というには、小さかったな」
「――……」
一拍。
ロカは体温が下がるのを感じて、テーブルから後退りした。
もしや、レジエクスが戦ったのは。
もしや、フェンが戦ったのは。
冥府の王の攻略を語って、話に花が咲く。盛り上がる詰め所の中で、不意にシルフィードと目が合い、ロカは強ばる頬で無理矢理、笑い返した。
亡霊の祭りの夜が明けた。


(了)
 
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